2016年11月17日(木) |
終わった人 内館 牧子 |
東大法学部を出てメガバンクに就職した主人公、田代壮介が四十七歳で出世街道から引き下ろされて子会社で定年退職を迎える日からこの物語は始まる。 サラリーマン生活を成仏出来なかった主人公は、行くところがなくなってジムや図書館などに通う普通のジジババにはなりたくなかった。 それでも私の周囲にいる定年退職を迎えた人たちと比べたときに、退職金はあるし、年金と企業年金のある暮らしは理想としか思えない。 年金だけでは足りないからたとえ少しでも足しになるよう、預貯金の食いつぶしを延ばそうとパートを始めた男性を何人も知っている。 降ってわいたようなジムで知り合った若い企業家から、銀行でのキャリアをかわれて顧問になったものの、思いもかけないアクシデントで挙句九千万円の負債を抱えて倒産してしまった。 ここから定年退職した夫婦にありがちな男と女の考えの相違もあって夫婦関係が少々こじれてくる。 最終的には 卒婚 という形におさまったけれど、私の周囲から見たらやはりこれは物語でしかない。 まぁ 面白かったけれど。
それでも63歳で定年退職した主人公が語る言葉に、専業主婦だから定年退職はないけれど妙に共感する部分があった。
先が短いという幸せは、どん底の人間をどれほど楽にしてくれることだろう。 いや、その幸せはどん底の人間でなくても、六十過ぎには、すべて当てはまる。 「先が短いのだから、好きなように生きよ」ということなのだ。 嫌いな人とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、何を言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きなように生きればいい。 周囲から何か言われようが、長いことではないのだ。「どこ吹く風」だ。 これは先が短い人間の特権であり、実に幸せなことではないか。
ここからは私感。 でもね・・・平均寿命が伸びてなかなか死ねない現在、そんなことを言ってられるのは健康な間だけ。 身体がいうことを聞いてくれなくなってきたら、どんなに情けなくとも例えば施設などに入所することになったら、また人の顔色を見て暮らさなければならないようになるかも・・・よ。 だからそういう辛さから逃れるために認知症になるのだと、人生はそういうふうになっているのだと、そういう考え方もあるということで。。。
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