2016年01月16日(土) |
謎の毒親 姫野 カオルコ |
相談小説とある。
著者の子供の頃に感じた自分の親への想いが、大人になっても解決できないでいるので、作者ならでは発想で出来た小説だと解釈した。
私もいつ頃からだろうか自分の親が理解できないようになっていた。 中高生になったら、別に勉強が好きではないのに夏休みや冬休みなどのまとまった休みが苦痛でしかなかった。 普段より長く親といたくなかったから、何せ狭い家だったもの。
母への不満を一度、叔母に漏らしたことがあるがそれも効果はなかったし、その当時読んでいた少女小説の人生相談のようなコーナーに応募したことがあったが、大人は大人の味方しかしないのだと悟った。
そして・・・この家から逃げるには結婚してまともに家を出ることが最良だと思ったが、性格が陽気ではないし容姿だってどんなにひいき目にみても並みでしかないから、恋愛も出来なかった。 それでもあの頃は近所や知り合いのおばちゃんが家同士が釣り合うような見合い話を持ち込んでくれたが、それでも肝心のお見合いの前に断られていた。 それでも何とか縁あって結婚して、主人の親に尽くそうとそれなりの覚悟はしていたが、所詮は嫁でしかなかった。
この物語に関して思うのは、著者の両親の不幸な結婚につきるだろうな。 男も女も所帯をもってこそ一人前という考えのもとに、ただ単に引っ付いただけの夫婦で、夫は妻を思いやらないし、妻も夫が尊敬できない。 相性の問題なのかどうかはわからないけれど、私の両親をみているようだった。 状況は違うけれど子供に対する親の態度がウチとよく似ているもの。 そして著者の父は自分の子供が女の子だったから余計に関心がもてなかったのではないだろうか。 それでも この小説を読みながら途中で何度も思ったのは、毒親という表現しかないのだろうかと。。。 以前 「夫原病」とか「母原病」という本があったように思うけれど、やはり家庭をもって子供を育てていくって大変なことなんだとつくづく感じた。
そして・・・今・・・身を持って思うことは私も子供たちに好かれる、頼りにされる親になれなかったということ。 さらに確信めいた想いとしては、どの人間も未熟なのだということ。 親だからエライのではなくてただ少し長く生きてるだけのこと。 著者のご両親は生活ではなくて、人生に余裕が持てない人たちなのではと、今の自分自身に重ねて読み終えた。
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