憧れの人 - 2007年01月01日(月) 俺はその日、内心ドキドキしながら地下鉄に乗っていた。 出入り口のドアのガラスで自分の姿を確認する。うん、髪はいつもより気合い入れてきたし、顔は良い顔してる。 念入りにアイロンをかけて貰った制服。ズボンのポケットには小さめの封筒が一枚入っていた。 俺は今日、憧れの女の子に告白する。 午前八時三分、前から二両目の車両に乗ってくるあの子に。 彼女はいつもと同じように地下鉄に乗ってきた。 真っ黒な長い髪、気の強そうな目、雪のような白い肌―――絵に描いたような綺麗な彼女が俺の好きな人だ。 俺は、いつも通勤途中の地下鉄で会う彼女の事を何も知らない。名前も、性格も、どこに住んでいるのかも知らない。声だって聞いた事がないんだ。 知っているのはいつも同じ車両に乗る事、制服から近くの女子高の生徒だという事、いつもつり革に掴まって文庫本を読んでいる事だけだ。 俺の友達は『そんなのは本当の恋じゃない』と言う。何も知らないのに好きだ、なんておかしいって。告白したって気味悪がられるか、痴漢に間違われるだけだって。 確かに俺は彼女の事を何も知らない。 それでも好きなんだ。 彼女の事を考えると、夜も眠れない。 俺はいつものように文庫本を手にしている彼女の真後ろに立った。 どんな風に声を掛けよう。普通で良いのかな。『あの、すみません』とか、『少し宜しいですか?』とか…? 変に思われないかな。思いっきり嫌そうな顔されたりして…。そう思うと、なかなか声が出て来ない。 駄目だ。勇気を出せ、俺! 「あの…すみませ…」 俺が彼女の肩に軽く触れようとした時――― 「何すんのよっ!この痴漢っ!!」 俺の手を強く掴まれ、車両中に彼女の声が響き渡った。 数十分後。 「いやー、ごめんね。思わず大きな声出しちゃって…」 何とか誤解は解けて、彼女は苦笑いを浮かべながらぺこんと頭を下げた。 「いえ、俺も悪かったんで…。すみませんでした」 俺は彼女に痴漢だと勘違いされてしまった。友達の言った通りだったんだけど、俺は気が付かない内に本当に痴漢まがいの事をしてしまったらしい。 どうやら左手に持ってた鞄が彼女の…お尻の辺りに当たっていたらしく、彼女はそれを俺の手だと勘違いしたらしいんだ。 俺は右手を彼女の肩に掛けようとしていて、左手に鞄を持っていた事を説明して何とか分かって貰えたけど…。 「ほんっとごめん。学校も遅刻だよね、これじゃあ」 「いや、それは君もそうだし、気にしないで」 時刻はもう八時半を過ぎている。彼女も俺も完全な遅刻だ。 ああ、でもそんな事どうでも良い。俺は初めて聞く彼女の声に聞き惚れていた。 何で涼しげで綺麗な声なんだろう。まるで夏の窓辺にちりん、と鳴る風鈴の音みたいだ。 どこか懐かしいような、優しい声。ずっと聞いていたい気になる。 「君…、いつもあの時間の、あの車両に乗ってるでしょ」 その涼やかな声に俺が言おうと思っていた事をそのまま言われて、思わずドキっとしてしまう。 彼女に目を向けると、ばっちり目が合ってしまった。すると、彼女はにっこりと微笑む。 可愛らしい微笑みに頬が熱くなる。鼓動がどんどん速くなって、俺は死ぬんじゃないかって思った。 これはニセモノの恋なんかじゃない。本物だ。じゃなかったら、こんなにドキドキするもんか。 「ねえ、このまま学校サボってどこかに行こうか。こうして知り合ったのも縁だし、ね?」 そう言って、彼女は笑う。彼女もほんの少し頬をピンク色に染めていた。 ポケットの中の手紙はまだ渡せていない。 それなのに、憧れの彼女と仲良くなるきっかけが出来てしまった。 俺は心の中でガッツポーズしながら、自分の口で彼女に好きだと伝えようと思った。 文字じゃ伝えられない想いを、いつか声にしようって。 俺は彼女と駅の改札口に向かいながら、ポケットの中の手紙をくしゃり、と握り潰した。 END ***** 別の場所に書いた小説です。ここに載せて、少しお気に入りを整理しようかと。 ていうか、こんな健全な小説も書けたんだ?私(笑) -
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