++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2011年01月08日(土) *新しい年

年末年始は慌しく過ぎていった感じ。
一応、掃除をして形ばかりの正月飾りなどを
飾ったりはしたけどそれだけ。

ただただ単純にワクワク感でいっぱいで
年越しやお正月が特別なものだった幼い頃が
切なく懐かしい。

ここ数年、身近な人達が櫛の歯が抜けるように
続けて逝ってしまったことも寂しさや心細さに
拍車をかけているのかもしれない。

寒くなってきて夏よりは少し鬱が良くなってきたかと
思っていたけど、ここにきてあまり調子が良くない。

ひとつには年末の検査で持病の数値が好転せず
薬の量が増えてしまったこと。
以前ならもっと頑張ってコントロールできていたのに
この頃のわたしはすっかりやる気がない。
気力や根性をどこかに落っことしてきたみたいだ。

何をするのも億劫でそれこそ薬を飲むのも面倒くさいと
思ってしまうようなレベル。

酷い時には もうなにもかもいいかな・・・と
執着していたはずのものすら、ぼんやり手放してしまいそうになる。

持病の状態があまり良くない上に
その他 あちこちガタがきているのもあるのかもしれない。
定期的に血液検査と尿検査はしているけど
本来なら癌検診にもいかないといけないのに行けていない。

病院って持病で定期的に通院するのはけっこうきつい。
一日で二つの病院をハシゴするのはちょっと無理なので
別々の日になるから余計にぐったりしてしまう。

元気じゃないから病院に行けない なんて
笑い話みたいだけど現状ってそんなものだ。
もしくはどうにもこうにも状態が悪くなって
自分で病院にいけなくなって救急車で運ばれるか・・・。


人間の命ってなんて儚いものなんだろうって
最近しみじみと思う。
家の畳の上で愛しい人たちに看取られ死にたいなんて
昔の人はいっていたけど
今 それができる人がどれだけいるんだろう。
病院のベットの上で景色も見れないままに
生かされながら、少しずつ死んでいく。

病院だって医者だって失礼な言い方をしてしまえば
そんなに当てにならない。
というよりもそこに期待しすぎちゃいけないんだろう。
医療現場で働かれている方々の大変さが半端なものでは
ないことぐらいはわかるし。
病む人たちは後をたたないし、人ができる力には限界がある。


今 生きていることが当たり前だと思える人は幸せだ。

自分には関係ない降りかかることのない
ただたまたま運が悪かった何億分の1かの話と
信じられる人たちが心底 羨ましい。

どうしてそんな風に無邪気に自分だけは大丈夫だと思えるんだろう。


笑って楽しいことだけ考えて前向きに
先のことを心配するよりも今を・・・

そうだね。その通りだよね。
だけど。だけど。

それならどうしたらこの不安と怖さは消えてくれるの?
思おうとして無理やりでも形からでも思い込もうとして
その度に何かあって・・・
ここを乗り越えたらここを過ぎたらってなんとかここまできたけど。


病気のせいなのかな。
気持ちの浮きしずみで見える景色はまったく違うものになる。

誰からどんな言葉を聞いてもうつろにしか聞こえなくなり
景色が色を失うようなあの感覚。本当に失うしかないのだと
思い知らされた時のあの問答無用の恐怖。

大切なものを失う時にすらその絶望は
底が見えないほど深いのに、
自分自身が無になるという時に
わたしはその限られた時間の中で
景色に音を、色を、取り戻せるのだろうか。

文字を、言葉を、
どれくらい残せるのだろうか。




人は何も持たず裸で生まれてきて
少しずついろいろなものを手にしていく
だけどどれだけ持っていても
いつしかまた少しずつ手の中のものは
失くしたり落としたり返したりして
最期はまた何も持たないただの裸になる。

最期まで抱えて寄り添っていけるものがあるとしたら
それは忘れえぬ想い出だけなのかもしれないけれど

それを信じることができない人間は
一体どうしたらいいの?





わかった顔したような答えなら いらない。


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ゆうなぎ [MAIL]

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