++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2010年12月26日(日) *臥待月

この歳になってくると逝くひとを見送ることが
多くなってくる気がする。

子供の頃や若い頃には当たり前のように生というものがあって
死は何処か実感のない物語のようで
だからこそ、それをある時は甘美にすら語ることもできた。

それでいえば人の死というものを有無を言わさぬ形で
わたしが突きつけられたのは30半ば、夫によってで。

その誰もがそうであるようにわたしもまさか自分がこんな風に
死と向き合わされることになるとは思いもしなかった。

物語は所詮、ひと事で、
だからページを閉じたり、スイッチを切れば
いつでもそこから逃げ出せたけれど
現実ってやつはそんなに簡単ではなくて
いろいろな山積みにされて遺されたものを
片付けたり
整理したり
手放したり
抱え込んだり

10年過ぎて
10年にも なるのね
もう

昔のわたしをどんどん思いだせなくなってきてる な。
こんなに怖くなかった
不安定じゃなかった頃の
わたしの感情はどんなのだったっけ。


昨日 また急な報せで
もう一人の伯母が末期の癌で厳しい状態だと。
数日前に調子が悪いと病院に行ってわかったそうだ。
本人に告知はしていないという。

だからわたしは神様を信じられない。

人には寿命というものがあり、いつか誰にでも必ず
”その時”はくるというのはわかっているけれど。

ここのところの櫛の歯が欠けるように・・・には
どうして・・・と強く強く思う。
どうしてこんな形で・・・こんな苦しみを・・・

わたしが見てきた人たちは
それでも死というものをちゃんと生き抜いて逝った。

わたしが怖いのは
自分もちゃんとそこに行き着くまでの間を
生き抜くことができるかということ。

たぶん あの時から ずっとそのことが頭から消えない。

明日のことはわからないから

絶対も
必ずもないから

直前まで怯えているよりも
直前まで気づかず笑って
できるだけ悔いの残らないように
誰でもない自分のやりたいと思うことをやって。

遺すものを考えるよりも
燃焼しつくしたいと。

そうでないとわたしのような小心者のヘタレは
後悔を何かのせいにしてしまいそうだから。

他人からみて
いくら美しい佇まいの生き様でも
自分自身が心に夜叉を抱えたままでは
苦しすぎて耐えられそうにないじゃないですか・・。



最近は文章をこうして書くのもなかなかできなくて
気持ちをうまく言葉にできなくて
それでも12月に入っていよいよ寒くなってきてからは
比較的、躁状態なのです。

この夏の猛暑はかなり心身ともに酷かったですから。
やっぱりわたしは冬が好き。
きーんと痛いほどに澄み切った空気や
染み入るような冷たさの水が 好きです。

息が苦しくない。冬のほうが息が少し楽になる気がして。


最近、栞を作るのにハマっています。
いろいろなものを再利用して作るのが楽しいです。

それと シーグラスにも惹かれていて
なかなか海へ行く機会もないのですが
もう随分昔に、それと知らずに拾っていた
水色の優しい丸みを帯びたその小さな硝子を
飽きずに触っています。

もう一度 海へ行きたいな。。。


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ゆうなぎ [MAIL]

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