書きたいことはあるのだけど 毎日にあっぷあっぷでPCを開く気力すらなかったりで。
いざ 書こうとしてPCの前に座っても どうにも言葉が出てこなくてもどかしいが せめてできるかぎりでも書き残しておきたいと思う。
末っ子がまた学校を休みがち。 少し前に体調を崩して休んでからぽつりぽつりと 休む日が増えて、心配していたのだけど 昨日、一昨日は行ったが今日はまた休んだ。
真ん中と末っ子は小学校時に数度 不登校状態になったことがある それも少しのズレがあったとはいえ 二人ともが重なって行けなかった時期もあって これは辛かった。
強引に行かせようとしたこともあったし、 なだめすかして子供と一緒に毎日登校したりもした。 保健室登校でほんの数時間でも・・・と。 それでもやっと登校したと安心した一時間後に 学校を上履きのままで飛び出したと電話があったり・・ 子供には子供の思いや止むに止まれぬものもあっただろうが 親はひたすらに心配し、半狂乱になって探し回った。
見つかった我が子にすがりついて人目もはばからずに 泣きながら、とにかく無事であったことに心から感謝した。
学校や担任の先生とも何度となく話した。 相談所やカウンセラーを勧められもした。
でもそういうのでどうこうできる問題じゃないってことは 多分、わたし達家族じゃなければわかっては貰えない。
外からの助言を受け入れないとか頑なになるとかいうつもりはない。 けれども、懸命に話しても話してもどうしようもなくズレていて わたしは疲れ果てるばかりだった。
所詮、無理やり強引にでは問題解決にならない。 子ども自身が考えて納得しなければダメで。
学校や先生は勿論、心配してくださり精一杯ご尽力もいただいたと思う。 それでもやっぱり学校にも学校の、先生にも先生の立場があり それは良く分かるし、感謝も申し訳ないとも思うのだけれども 微妙にズレた認識がやりきれなくなったりもした。
あの日々は一言では語れない・・・。
トンネルから抜けて登校するようになった時 普通に学校に行ってくれるということがどんなに嬉しかったことか。
成績云々ではなくて元気に楽しく登校してくれたら。 それだけをずっと祈っている。
だからまた再度 不安定になっている現状が心配で仕方ないのだ。 もっとどっしり構えていればいいのかもしれない。
でも持病を抱え、薬を飲みながらの日々、 持病は一進一退状態で膨れ上がる不安を抑えつけながら いっぱいいっぱいでやってる。
教育現場の苦労というものに対しては 実はかなり知っているといってもいい。 それは亡くなった夫が教師だったからだ。
教師や学校側の内情については、むしろ その過酷さに同情して理解している方だと思う。 苦情の類もだから言ったことはない。 知っているからこそいいにくい ということもある。
亡夫は教員としては生徒からも慕われ、先輩から可愛がられ 保護者からも頼りにされていた立派な人であったと思う。 何より、弔問に来て下った方々の人数がそれを物語っていただろう。
皮肉なことに夫自身はいつもコンプレックスの塊で 文字通りに学校で自分をすり減らし、良い教師を演じ 外でそれを見せない代わりに酒に溺れ、物に当たり壊し、 わたしに絡み、暴言を吐くという形で、家で出していたわけだけれど。 優しげな外見で軽く甘くみられるというジレンマを 吐き出せるのはわたしに対してだけだったのだろうけれども サンドバックの役割というのも長く切れ目無く続けば耐え難いもので 外側から見るよりもずっとわたしたちの家庭は複雑に歪んで屈折していた。
良い教師=良き家庭人というわけではない。
夫は優しい良い人だったけれども とても弱い人だった のだと 思う。
弱いものと弱いものが一緒にいれば どちらかが強くなるしかない。 でもそれが夫を追い詰めたのではなかったか・・という 苦い自問。 中途半端なわたしの強さと辛抱が 反対に家庭の崩壊の時を早めてしまったのだとしたら?
結果的にアル中に近いほどのお酒とタバコとストレスが 夫の命を縮めたのだから。
でも
わたしに他に何ができただろう。
いや、その感情もどれだけの理屈もわたし側からのもの。 今 遺されたこの身には所詮言い訳に過ぎまい。
やめよう。
明日、末っ子は学校に行けるだろうか。
見守るしかない。
わたしたちは
わたしも 子供たちも
答えが欲しいんじゃない。 知ったかぶりの見当違いの答えなんてイラナイ。
ただ 受け止めて欲しいだけ なんだ。 でも それがとても難しい。
ワタシハガッコウガキライダ
そうして 明後日は祖母の一周忌。
そのあと すぐに伯母の四十九日がくる。
これからを思えば、胸が締め付けられるようで 息が苦しい。
逃げ出す場所もなく追い詰められていくばかりのようなのに 何処かに消えたいと思っても死にたくないと思うのは生来の臆病さ故か・・ いろいろな生き様と死に様を目の当たりにしすぎたからだろうか。
生きることも、死ぬことも怖いわたしが その最期にみるのは どんな景色なのだろう。
分け入っても 分け入っても 青い山 (山頭火)
捨てきれない 荷物のおもさ まへうしろ (山頭火)
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