2010年06月01日(火) |
*オオカミニナリタイ |
イイヒト って何だろう。
イイヒトでいることに自分自身も違和感がなく 何処から見ても見通しのいい生き方のできる人が 本当のイイヒトなのかもしれないな。
イイヒトって評価は 結構安易にされる。 ある意味 気弱で御しやすい(と思われる)人に対しても 言われるコトバ。
わたしなんかさしずめ後者の方だろう。 気弱で御しやすいのも争いを好まずに 何かあると自分の方が退くのも 要するにごちゃごちゃするのがメンドクサイから なんだけどね。
本来のわたしは 他人が認識しているわたしよりも 利己主義だし冷淡。
ただ奥深くに隠して踏み込ませないだけ。
まぁ 人間多かれ少なかれ 秘密や奥底に眠る闇みたいなものは 持ってるんだろうから、とりたててわたしが特別というわけでも ないだろうけど。
ただ歳をとり、死について改めて触れ、色々考えた時に 今の上っ面だけイイヒトの自分っていうのに なんともいえない苛立ちを感じてきて。
先日 亡くなった伯母は善良な人だった。 自分のことを後回しにしてでも人のことを 気にかけるような人だった。
そんな伯母がお見舞いに行く度に このままじゃ死んでも死に切れない と。
苦労して苦労して、人の為にやってきて やっとこれから自分のことを・・・って時に 病気で斃れて さぞや無念だったことと思う。
勿論、わたしの知らない部分も沢山あるだろうし 伯母の人生が不幸ばかりだったなんて 言うつもりはない。
それはわたし自身の人生が他人からみてどうであれ 不幸だけのものではないのと同じことだ。
でもだからこそ湧き上がってくる強い思いがある。
人様からどう思われるか とか 世間の常識 とか まず 自分ではなく人を思い遣る とか
そういうの もういいんじゃないか って。
もっと好き勝手にしたいように生きてもいいんじゃないか って。
もっとワガママに、もっと我慢せずに怒って キライなものは嫌い、イヤなことは誰がなんと言っても嫌。 したくないことはしない。
わたしの持つ秘密や闇はまだ眠っている。 わたしという存在がこの世界から無くなった時に はじめて他人はわたしの闇を垣間見るだろう。 時限爆弾みたいに。
染み付いた生き方を根本から変えるには 歳をとりすぎてしまったけど
見通しのいい、綺麗な生き様や イイヒトなんざ くそくらえ だと
強がりでも 足掻いてみっともなく往生際悪く
それを生き恥だというなら 最期まで 大きな何かに挑むように せめて 吼え続けたい と
泣きそうになりながらも
そうでないと悔しくて 悔しすぎるから
この臆病者は 思うのだ。
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ゆうなぎ
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