旅行だレジャーだと世間様はGWの真っ最中だけど 我が家ではいつも通りの生活が刻まれていくだけ。
わたしは連休前にまとめて薬をクリニックに貰いに行ったり 長男の大学関係の提出書類に必要なものを役所に取りに行ったり 何でもそうだと思うけど新しく始まる最初には色々手続きが伴う。 ウチの場合はそれに奨学金関係や今度長男は18になるので 今までの一人親医療保険から外れたり、で金銭的に思った以上のものが 出て行く事になる。厳しい。
勿論、本人のアルバイトも視野に入れて考えているわけだけど ある程度 自分自身が大学生活の流れを把握して慣れてからの方が いいと思うので焦らず・・と伝えている。
真ん中はいよいよ高校受験の年齢でこちらも心配。
次男、三男と一時変わりばんこ というか 時には二人一緒に登校拒否になり胸が潰れそうな思いで 心配したり何とかできないかと右往左往したこともあった。
今はそれを乗り越えて それぞれの新しい学年、学校で 今の所頑張っているようだけど まだまだ気は緩められないと 思ってる。
三人子供がいれば 当たり前といえば当たり前なんだけどね。
誰かに大きな転機があったり、怪我をしたり、病気をしたり、 病院とは縁が切れたことがないし。
もうしらん、もういやだ、と夜の公園で泣いたこと今までに数え切れず。 結局は自分で涙を拭いて立ち上がり家へと帰っていくわけだけど。
それでも すっかり寝静まった夜中にふと目が覚めたとき うっすらとした月明かりに照らされた子供たちの寝顔。
斜めになった布団から寝相の悪い手足があちこちから出てて、 ああ・・・次男はお腹が丸出しだし、 末っ子は転がった先の壁に引っ付いてる 兄ちゃんが難しそうな顔でブツブツ寝言。
ひとり、ひとり、 そっと布団をかけなおして寝顔をみていると 不思議な愛おしさがこみ上げてくる。
わたしは 決して親としては良くできているとは言いがたい。 元々そんな子供好きでもないし 学校行事も欝病を発症してからは特に自分の子供のことでも 楽しみよりもメンドクサイと思うような有様で。 今までもみっともない無気力姿を子供らにはいっぱい見せてきたと思う。
こんなんで・・・でも不思議に、 だったら子供がいなかったら良かったと思うわけじゃない。
反対でこんなふうに夜中に三人の寝顔をみていると いてくれて 良かった。生まれてきてくれてよかった と思う。 そうしてそれは 誰か一人でも欠けていてはダメなんだ。
この ひとりひとりのわたしの生んだ三人の子供たち。 それぞれに見事に色も形も違う兄弟。
あいかわらず先の見えない人生 将来設計とかよりも今日をどうしていくかで 精一杯の日々。
例えば 知人の話やネットのブログを読んだりしていると ああ・・・こんな風な人生というものもあるのだなぁと 羨ましくなったりすることも沢山で。 だって同じニンゲンの人生とは思えない別の御伽噺のお話を 聞いているようなんだもの。
なんでなんで と なんで病が酷くなって どうしようもなくグッタリと打ちひしがれてしまう時、
それでも寝相の悪い子供らに布団を掛け直し 髪に、頬にそっと触れて寝顔を覗き込んでいると
わたしの中から愛おしさがあとからあとから溢れ出す。
この子達がわたしの元に生まれてきてくれて良かった と。 ひとりも欠けずにそれぞれがそれぞれとして。
わたしはこの先 再婚するつもりも、恋人と同居することも ないだろうと思うのはこの子供たちのこともある。
たとえば 年老いた両親のことにしても子供たちの事にしても 居なければ自由で身軽ではあるだろうけど 多分 わたしはそういう自由さや身軽さには耐えられまい。 恋人もまた 今の家業の仕事と両親を置いてわたしの所に 来ることなど無理。
月並みではあるけれど もうすこし若い頃なら 選択肢ももっとあったと思う。
いつか迎えにいくよと彼はいってくれるが 万が一迎えにきてくれても 一緒にはいけないだろう。
だから わたしはこの場所で、彼はその場所で 恋人同士として時間の許される限り、一緒に生きていきたい。
願い。 祈り。
今までに色々あったように 今からも色々なことが起こるんだろう。
そのたびにわたしはもみくちゃでフラフラに なってしまうのかもしれないけれど。
ふとした瞬間に それでもまだ 想い出せたり感じることができたらいい と思う。
子らの寝顔の愛おしさや 恋人の見つめてくれる瞳から溢れる慈しみに 心がほっこりと柔らかくなれたこの気持ちを。
そんなことを 考えたりしている 真夜中。
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ゆうなぎ
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