| 2006年12月24日(日) |
死というもの。生きるということ。 |
当たり前だけど人には寿命がある。
今年もこの世界の中で亡くなられた方々が沢山いらっしゃる。 そんな訃報に触れるたびにやっぱりいろいろな想いが頭を過(よ)ぎる。
今年も終わりのこの12月にも有名人の方の訃報を聞いた。 その中でも「カンニング」の中島さんの訃報には絶句した。 来春にも「カンニング」復活!という記事を直前に読んでいたから 暫くは信じられなかった。
「カンニング」という漫才コンビのことを知ったのは 「エンタの神様」でだったと思う。 子供と見ていて相方の竹山さんのキレっぷりの危なっかしさに なんていうかハラハラしてしまう感じだった。 なだめ役になる中島さんのキャラクターがほのぼのしてて そこでその無軌道に見えるキレが不可思議な味を醸し出す。
失礼な言い方かもしれないけど荒削りで不器用で でも なんかつい目がいっちゃうような気になる そんな感じだった。
暫くして中島さんが病気で長期入院を余儀なくされることを ニュースで知った。 病名は聞いたけど良性だということだったから 一日も早く元気になって帰ってきてくれて またあの二人での「カンニング」が見たいな って思ったし そうなることを信じてもいた。
一時的とはいえピンになった竹山さんが ずっと「カンニング」って 看板一人で背負い続けて 頑張ってるのテレビで見かけるたびに 応援する気持ちはますます強くなった。 ピンになった竹山さんからは がむしゃらに まさに体当たりで仕事してる感じが伝わってきて それは「お笑い芸人 カンニングの竹山」という人には 失礼なことかもしれないけど この人 闘ってるんだなって すごく胸を打つものがあった。
わたしは中島さんの訃報も竹山さんの会見もネットでしか見ていない。 竹山さんの会見も動くニュースや声では聞かなかった。
聞かなかった・・というよりも見ること聞くことが 辛すぎてできなかった。
ネットニュースの文章では竹山さんが涙を見せずに (多分 多くのマスコミが号泣する姿を期待したんだろうけれど) しっかりとして会見に挑んだことが書かれていた。 この会見を見て彼を見直したって人も多かったみたいだった。 ギャラも「カンニング」は二人で一人、二人三脚だからと 折半していたとあった。入院後は仕事が終わった夜に 毎日お見舞いに通っていたとも。
文章にするとそれまでになってしまうけど これは言葉でいうほど簡単にできることじゃない。
最後まで涙を見せなかった竹山さんの会見の中に 「昨夜、(同棲中の)彼女としこたま泣きました」というのが あって胸を突かれた。 彼の悲しみの全てが其処に込められている気がした。
中島さんの遺された奥様の想いも察するに余りある。 小さなお子さんがいらっしゃると聞く。
35歳。
どう考えても若すぎる。
夫が亡くなったのも35歳だった。 もうすぐ36歳になる数日前だった。
一つの命が消えていくということ。
死というもの。
歩いてきた人生はそれぞれでだからどれだけ理解したくても それを完全に知ることなんてできない。 重なる部分や共感があっても 千差万別の人生。泣き笑い、想いがある。
ただ それのどれもが計れない重みをもっているということ。
闘病で 周りが辛いのは決して本人に希望を失わせることを してはいけないから もう奇跡を祈るしか無くなっても どんなに辛くても そんなそぶりを少しでも 見せることすらできないことだ。
竹山さんも最後の方では覚悟していたとあった。 どんなにその覚悟は辛いものだったろうか。 奥様は勿論のこと、それを知る周りの方たちも。
それも竹山さんはお笑いの芸人さんだ。 お笑い芸人の仕事は笑わせること。
尚更 歯を食いしばってたろうって思う。 だからこそ 一人の 人間 竹山さんとしての会見は あんなに見ていた人たちの胸を打ったのだろう。
静かであるだけにそこに押し込められた悲しみの深さが。
そうしてもうひとつ。 今は遺された方々は気が張り詰めているから。 無事にお葬式を四十九日をして送り出してやりたい・・・ それまでは・・っていっぱいいっぱいに頑張ってる。
だから。
身近な人の死は 何よりも死というものの意味を 否応なしに目の前に突きつけてくる。
漠然としていたものが むき出しになって差し出される。
それでも長い人生の中 自ら疲れきって 人生の舞台から降りたくなることは一度や二度じゃなくある。
でもそんな時に
そのひとの 死 によって教えられたものを思い出す。 目の前に突きつけられたものの重みを思い出す。
生も死も等しく重たい。
どちらからも逃げられない。
どちらだって苦しく辛い。
死は救いなんかじゃない。
少なくとも遺されたものにとっては。
それでも目の前の苦しさから逃げ出したくて 人間なんてそんな強いものじゃないもの。
でもそのたびに あの瞬間が頭を過(よ)ぎるんだ。 あの 白い四角い病室のベットの上に横たわったひとを思い出すんだ。
どんなに美しい死よりも無様な生き様の方が どれだけどれだけどれだけ辛くとも。
今日という日が絶望で 明日という日にも希望がないとしか思えなくて それでも 今日にしがみついて生きよう。 今日が終われば明日が今日になる。 その今日に希望がないように思えたのは 昨日の自分だから。 今日は今日が始まらないとわからない。 その今日が絶望でも 次の明日が必ず絶望だと誰が言える?
白馬に乗った王子様も 正義の味方も来ないかもしれない。
でも 何かが昨日とは絶対に違うことだけは確か。
どんなに変化が無いように見えても生きている限り まったく同じ毎日なんてない。
きっとだから生きる。
生かされている命なら
その命を返さなければならない日まで
足掻こう。
どれだけみっともなくでもかっこ悪くてもいい。
その時にできる生き方で。
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ゆうなぎ
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