++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2005年02月27日(日) 永遠に行き先を失ったもの

夫への想いはとても複雑だ。

例えば まっすぐな愛情という感情だったなら
亡くした悲しみも大きかっただろうけど
その悲嘆に素直に浸れただろうと思う。
他人のいう「ご主人は天国で見守って・・」という
慰め文句?もそのまま心に沁みただろう。

もしも夫が病気になどならずこんな形で亡くなってなければ
今度は反対にちゃんと?憎み続けていられただろう。
こういう言い方はおかしいかもしれないけれど。 

夫に苦労させられていたことを知っていた友人達から
「こんなことをいってはナンだけど自由になれたのは
羨ましい」というような言葉や
(彼女たちもまた夫に苦しめられている辛い立場にいて
その苦しさに耐えかねてだけれど) 
彼女らの配偶者に対しての
「事故か何かでいっそ死んでくれたらいいのに」とか
「殺してやりたい」などどいう言葉を聞くと
複雑な気持でいっぱいになる。

楽にみえるのかな・・羨ましくみえるのかな・・けど
実際にこうなってみればわかるだろうけど
決していいものじゃないよ・・と。

確かにわたし自身 彼女たちの立場にいた時は同じように
何度も思っていたのだから気持はわかるし(多分 こういう
立場にならなければまったく同じ台詞をわたし自身がいっていただろう)
その言葉を責めようとは思わないのだけれど

ただ

ある意味 マイナスの感情を迷いなく
向けられる対象がそこにあるっていうのはまだ救いがあると思う。

生きているから憎める。

どれだけ消せないほどの心の傷を負わされて
苦しめられて憎んですらきたといっても
目の前で命の灯が消えていくのを平然と見ていられるわけも無い。

不憫な想い、長年積み重ねてきた思い出(それには良かったときの
ことだってあるのだから)情・・・の部分、
かといってこの闘病生活の間も愕然とするような問題が発覚したりして
その度に先の無い病人を責めれるわけもなくやりきれなさ怒りの
持って行き場もないままに飲み込むしかなかったり。

まさに精神的生き地獄だった。
常に緊張とストレスがそこにはあって それでもそこで
自分を保ち続けているため必死だった。

そうして夫は逝った。

逝った後 少しはこれで張り詰めてたものが楽になるかと
正直思った。けどそうじゃなかった。
残されたのは 愛 でも 憎しみでもなく 切なさとやりきれなさと
空虚さ・・・。

亡くなった人間は想い出の中でどんどん懐かしいばかりになっていって
でも それほど虚しい哀しいことがあるだろうか。

遺されたものはどうすればいい?
永遠に行き先を失った想いは何処にいけばいい?
叫べないままの言葉は飲み込まれたままで
そこからまた背負い続けていかなければならない。

憎み続けることができていた方がずっとずっと楽だった。

死んでしまうってことはそこで途絶えてしまうってことだ。
ずっと返事のないドアを叩き続けるようなものだ。

そこにあるのは憎しみよりももっと切ない 
哀しみ だ。。。

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今 わたしの支えは子供とそうして色々なことを
全部知り支え続けてくれた遠方に住むKの存在だ。

Kは独身・8つ年下だけど一番わたしの気持を
理解してくれているのはKだと思う。
もう本当に長い付き合いになるけど
いつも穏やかにわたしの不安定な精神を
受け止めてくれてとても感謝している。

他にも内情を知る数少ない友人はいるけれど 
その友人たちもまた遠方に
住んでいてネットで出会った友達だ。

今のわたしはこの人たち以外の他人とできることなら
一切の接触を絶ちたい。
人と関わりたくない。そっとしておいて欲しい。
それができればどんなに楽になるだろう。

Kとはメールや電話で繋がっている。逢えるのは2ヶ月に一度で
それがわたしが 買い物、子供の学校行事(これが一番気が重い)
以外で唯一自発的に出かけたいと思う時だ。
その時だけはわたしはわたしを取り戻して重たい鎖から
解き放たれる気がする。

その時間とKと子供の存在だけが
かろうじてまだ わたしをわたしであり続けさせてくれている。


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ゆうなぎ [MAIL]

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