++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2005年02月26日(土) わたしのこと。

30代。子有。夫が亡くなって今年で三年。

だいたい こういう立場の人間に他人がかける言葉はほぼ決まっている。
「ご主人はいつも天国で見守ってる」
「お母さんが頑張ってる姿をみて子供は育つんだから」etc・・・

要するに ”ずっと亡き夫を想い続けつつ、子供命で 
がむしゃらに働き続ける”というのが世の常識的な正しい方々が考える
あるべき姿なんだろう。

そして実際そうして一生懸命生きてる人たちは沢山いるわけで。
それはそれで確かに正しいまっとうな姿なんだろうと思う。

だけど

わたしの夫への思いは複雑だ。
あまりにも色々なことがありすぎた。

離婚を考えていた矢先の夫の病。既にそれは手遅れの状態で。
告知せずに隠し通したまま 入院・手術・そうして
自宅介護の繰り返しの3年あまりの後 逝った。 






↑エンピツ投票ボタン

My追加

それも理由は義兄のギャンブルの借金の穴埋めの為。
唯一かけてたささやかな保険金をあてにしてのこと。
貸せるほど多額におりるわけじゃないし 第一 
葬式代と夫が残した借金返済でいくらも残りはしないのに。

無理だと断るとその場で逆切れした義母。
それでも我慢して我慢してこの日まではとこぎつけた四十九日でも再度暴言。
「アンタ 離婚してたら保険金だって手に入らなかったんでしょ!
嫁なんだから貸してくれて当然でしょ!」

義兄可愛さとはいえ あまりの言葉にもう怒りよりも強烈な虚無感と
吐き気。

それが息子の四十九日も過ぎないうちに遺された嫁と孫へ言う言葉ですか?
他にもまだまだあちらの実家の方々の信じられないような言動はあるけど
書けば書くだけ気分が悪くなるだけだから止めよう。

辛い日々だった。
いくら離婚を考えていたといっても目の前には命の期限切られてる人がいて
それも一度は愛していた人ならやっぱり想いは乱れる。
不安がる人に泣く姿など見せられるわけもないからとにかく
いつもの自分を保たなきゃならない。
まだ泣くな。まだ泣いちゃいけない・・って
それだけ呪文みたいに繰り返してた。
無意識に反射的に感情とは関係なく微笑を作っているのが普通になってた。 

張り詰めて張り詰めてずっと飲み込んで飲み込んで・・・
そのあげく 亡くなった後までこんな出来事。

そこで壊れてしまっても不思議じゃなかった。
けど そこでも わたしは踏みとどまった。
短期だけど・・ということで紹介してくれる人がいて次の月から1年だけど
パートに出かけて引越しもして諸々の事後の手続きも必死で済ませていった。

短期パートを無事に勤めきり 身辺のことも徐々に落ち着いてきた。
けど無我夢中の1年が過ぎた頃から 痛みの感覚がやっと知覚できるように
なってきたみたいに わたしの精神は音を立てて軋みだした。

誰にも知られないまま。


 < 過去   INDEX  未来 >


ゆうなぎ [MAIL]

My追加