コミュニケーション。
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2020年01月14日(火)






同級生が死んだ。
グループラインのメンバーはあっというまにふくれあがり、
アカウント名から名前を察する作業をしばらくした。


死んだのは、何年も聞いていないし、会っていない名前だった。
なんならイメージもあまりよくはなかった。
学校をやめ、不良グループのひとりだ、という印象。


ただ私は彼に対してひとつだけ、思い出があった。
中学時代、友達の家に回り道をして帰っていたのだが、
その途中に彼の実家があり、私たちが帰る頃、
彼は家の手伝いをして外に出ていて、
同じクラスだった私を見かけると、そのたびに、
「おう!○○!」
とあだなで呼んで手を振ってくれたのだった。


みな多感な中学時代、私たちのグループを嫌い、揶揄しているひとたちがいるのは知っていた。
知っていて傷つきもしなかったが、
なるほどそういう立場である、ということで、
ひっそりと暮らしていた(と思う)し、好かれている期待もしなかった。

そのなかで仲良くしてくれたのが元彼その他のグループであったし、
遠距離電話をしょっちゅうしてくれた友達でもあったので、
そういうひとたちは今でも大事な気持ちがあって、
彼もそのなかの一人だったのである。


彼の太陽のような笑顔は、今でも記憶に残っている。
彼と親しくしていた人々ほどではないけれど、この記憶をそのままにはできないと思い、
お通夜に参列してきた。


親御さん曰く、やんちゃしていた時期はあったものの、
それが終わった後は真面目に働いていたとのことで、
やはり彼の人柄は変わっていなかったと思われる参列者の数であった。
仲の良かった同級生は号泣しており、
親御さんの話す間際のお話には私も泣いてしまった。
(私はどちらかというと子どもに先立たれた親御さんの気持ちを思ってしまった)
とはいえ同窓会のような雰囲気を楽しむわけにもいかないと思い、
早々に退散したが、少しは知った顔にも会えたし、
親御さんの気持ちもたくさん聞けて、
説教はクソ中のクソだったが、一応彼の宗教に則ってお経をあげられたし、
親御さんに私の思い出も話せたので、
とりあえず、許してほしい。



説教がクソ中のクソだった話はまじでクソだった。
親戚だからこの宗教だったようだが、
夫の実家は日○宗でなくてよかったと心から思った。



あまりにも突然のことで、彼も無念だったろうと思う。
これからいい親になるはずだった(子供はいないが)のに…と惜しまれてならない。
私はもっと惜しみたかったが、
みんなもう亡くなってしまったから少しでもポジティブを拾おうという雰囲気だったので、
(これはクソ説教がそういう雰囲気だったからかもしれないが)
そういうことは言わなかった。


大人になって、いつかは笑って話せる人だと思っていた。
私がもう少し早く大人になればよかった。
彼の訃報を聞いてから思っていることはこれだと、今気づいた。



笑顔をありがとう。



雪絵 |MAILHOMEBLOG

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