コミュニケーション。
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2020年02月19日(水)




祖父が死んだのは最近のはずなのだが、何年前かもおぼろだ。
小さいころは一緒に住んだこともあったし年に何度も行っていたが、
母と祖父母の仲が決定的になってからは電話のみになり、
そこに祖父が出ることはないし、
私が一回り以上年上の男と結婚してからまたあちらが怒り、
そのうちに祖父は要介護になり、もちろん母が手伝うことはなく、
一切なく、
祖父は祖母に看取られて死んだ。


母は祖父が嫌いであった。
娘の私から見て憎んでいるとまでは思わないが、
彼女の心身の健康のためには物理的な距離が必要だった。
母から祖父母への恨み言を長年聞かされて、
自分たちも多少なり嫌な思いをさせられてきた私は、
祖父が死んでも何の寂しさもなかったし、接してこなかった罪悪感もなかった。
どう手を尽くしても伸ばしても、分かり合えないことはわかっていた。


一時期は、そうは言っても礼儀というものもあるし、
なんといっても私は孫で、可愛がられた記憶もあるし、
今なら大丈夫かもしれないと思ったこともあるが、
そのたびに人生に口を出され、ダメ出しをされ、
あげく結婚したときには葬式に来なくていいとまで言われたので、
8割がた諦めた。

残りの2割で通夜には参列し、初盆にも行ったのだが、
私の息子と娘に対し、
息子にのみ話しかけ、話題はほとんど息子についてにしか出ず、
娘はだんまりにならざるを得なかった数時間を経て、2割が消え去った。



祖父母と暮らした時期は、幼稚園のころで、
記憶が妙に鮮やかで、祖父の言動、祖母がしてくれたことは残っている。
それだけは大事にしようと思っていた。
CMと私たちに合わせて、普段からは想像もできないセリフを言ってくれた祖父。
からだを温かいタオルで拭いてくれ、自分で拭けると、
「とても上手、自分でできると気持ちがいいわよね」と声をかけてくれた祖母。
(同じように自分の娘にも言ってくれたらこうはならなかったのだが)


子どもたちに接するとき、祖母の真似をすることもあるし、
あんたたちのひいおじいちゃんは厳しかったけど、
こんな一面もあったよと話すこともある。


ただ最近、私のもともとの記憶力が少ないことに加え、
歳月も過ぎ、思い出せないことが増えた。
祖父の声である。
CMを真似してくれた声はなんとかギリギリ思い出せる気がするが、
普段の会話の声が怪しい。


そのことを自覚して初めて、寂しいと思って、
祖父を思って、泣いた。


雪絵 |MAILHOMEBLOG

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