綿霧岩
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アジカンの歌を聞くと、芸大にいた頃の空気を思い出す。 その当時はアジカンなど流れていなかったのに。 あの頃、24時間すべてが自分と友人達のためにあって。 其故に、そこには自堕落や不潔が常にあって。 それと同じだけの過敏と、ゲップが出るほど濃厚で幸福な時間があった。
こうして市井に流れる歌を聞いて思い出すことで、今はあのころからどんどん遠ざかっているのだとわかる。
「今」から眺めた「あのころ」は、実際のところ、少しばかり美化されているかもしれない。 けれど遠く離れたところから、物や事を眺めたとき、美しく見えないものってあるだろうか? その場にいたら地獄の業火であったとしても、遠い場所からは美しい炎に見えるだろう。
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というようなことを去年のいつだったかに思ったりしていて、今日またふと、ASIAN KUNG-FU GENERATION を聞きたくなった。 聞きながら、学生時代に限らずフラッシュバックする。 これまでに失ってきた、たくさんの、たくさんのものたちのこと。 失う事、忘れる事、と引き換えるようにして、無防備だったり過剰防衛だったりしながら生きてきたのだということ。 ひとを傷付けたこと。 そしてこの先も続いていく時間のこと。
嗚呼。 センチメンタルを肴に夜が更けるわい。
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