虚ろなる備忘録

3:理不尽な世界; 5:訪れるかな平穏; 7:すべてが虚ろになる;

2015年06月23日(火) 衝動的から感情的へ。

僕は感情的になった。 

−21:32

 うまく眠れない日が続いてる。眠くても昼寝もうまくできなくって、自分はいったいどこで疲れを取っているのかわからない。積もってくだけだ。

 今日はスーパーに行ったら突然中国人風の出店者に餃子を渡されて食べることになった。餃子(でかい!)の次は焼売(これは普通)で、塩辛(イカがこりこりしていた!)、佃煮(磯の匂いがすごい!)、ひじきご飯(もっちもち!)、アサリのナニカ(酒の肴になりそう)、お茶で〆のフルコースみたいなのを食らった。お弁当に佃煮が良さそうで思わず買ってしまった。980円もして、こんなたっけぇ海苔なんて買ったことねぇわと内心驚きつつお金を渡した。でもうまい。それに100円位のふりかけを使うなら10回で元が取れるし一気に出て行った金額はでかい気がするけど、元が取りやすいからまぁ、いいだろうかな。

 昨日は怒りと惨めさがなかなかおさまらなかったけど、寝て起きたらまあまあ鎮火していた。もうちょっとよく眠れてたら忘れてたかもしれない。あの不快感は、旦那氏と出会う前に多くの人からよせられた僕への排除的感情と似たものを感じたんだろう。理解できないんだからそんなこと言うなよ死ねよと突っぱねられた時の感覚だ。でも、前の自分よりはきっとはるかに対応がいい。昔だったら拒絶される自分に耐えられなくって、軽くODくらいはしていただろうなと思う。今の僕はさすがにそれはしない。それをするなら、不当だと言葉で説明させてもらいたい。今でも、そんな感情的を通り越した衝動的すぎる自分が嫌いで、あの時のようにはならないように律するのが、死ぬまでやる課題のひとつなんだと思うからな。

 最近よく喋るようになったと思う。友人にも笑うようになったと言われた。まったく笑わなかったのにねって。多分、楽しく喋っている。自分の顔は見れないけど、多分笑って話すようになったんだと思う。しかも自然に。こう、頬が引きつったりはせずに。そのかわり喋りすぎる。際限がないと思う。感情的になった時、それを抑えようとして喋ろうとする。すごい必死なのかもしれないけど、それはそれで極端だけど、命をかけようとするよりは冷静な行動だし、何よりも冷静になろうとしている姿勢は認めてやってもいいかもしれない。話聞いてる方もほんとに疲れてしまうから、やっぱり迷惑をかけないようにマイクラやるかタグいじるかでもして淡々と黙々としていられたらいいな。

 まぁ、そもそも、昔ほど激おこぷんぷん丸になることが少なくなった。感情的になることが悪いわけじゃない。けれど、僕の場合は特にそういう時にとる行動は失敗に繋がりやすいしなんのメリットも生み出せない。功を奏すると判断できた時だけ感情を見せればいいよ。
 衝動的から感情的へ、そこからまだ少し。




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