藤原のマジLOVE8%消費税日記。
藤原朝衣



 生きてます

3/14

これだけ一瞬で、「ああ、全部捨てなくては」と決断したことはありません。

本棚が倒れ、パソコンが下敷きになりパー、テーブルも壊れ、テレビも粉々。
電気も水も止まりました。

日曜の深夜か朝?に近かったかな?電気は回復しましたが、二晩暗闇で過ごしたあの不安感は忘れることができないと思います。

明るくて、あたたかくて、喜びで大興奮でした。
「あ、(携帯の)充電器持ってこなきゃ、あ、あ、違う、携帯を持って行けばいいんだ!!!」
↑すっかり電気の使い方を忘れていました(笑)

テレビもようやく見られて、映像でその凄まじい惨状を目の当たりにし、身が震えました。
余震じゃなく、私がちゃんと震えました。
どんなパニックムービーよりさらに恐怖でした。

インタビューを受けた男性が、「この上は小学校があったんです……今は、遺体収容所になってます」と答えた場面で我慢できなくて涙が。

今も断水状態でガソリンも入れられず食べ物を確保するのが精一杯ですが、生きてる。



3/15

茨城県が計画停電の対象から外れました。ほっとしました。
「何で茨城だけずるいじゃねえか」と思われる方は、ぜひうちの近所なり、もっと県北の日立方面を見てからにして下さい。

ニュースでは東北の様子と原発しかやってないので(まあ当然ですが)、わからないと思いますが、今だに断水が続きお風呂やトイレは不便、周りの家は2軒に1軒くらい屋根にブルーシートがかかっています。
隣の家の屋根瓦が落ちて窓が割れた家、電柱が倒れて/\←こんな「人とゆう字は支えあって」みたいな、金八名言を現した光景、液状化、断水だから給水所行くしかないんですが遠いしさらに給水制限。

うちは母の実家が井戸水出るので車で10分くらい飛ばしてもらいに行けましたが、一人4リットルしかもらえなかったら飲み水とトイレと食事でギリギリじゃないかな。

関東では最大の震度6強、立派な被災地なのに真っ先に計画停電で電気を止める。
その仕打ちに、東京の人は茨城県民みんな奴隷か何か、えた・ひにんだと思ってんのかな、と思いました。

ゲーセンやパチンコ店営業するほうが大事ですか、そーすか、と、かなりやさぐれました(笑)

それか、田舎だから今だにどの家庭にも囲炉裏があり、井戸水を使用し、畑があって食うに困らないとか思われてんのかな???
うちはオール電化だぞ。
野菜取れたって洗う水がないわ。

我慢できたのは東北の方を思えばこそ。

憐れんでくれと言うわけじゃないが、知って欲しいと思う。

うちは建ててから4年しか経ってない家で、震度7に耐えられる実験をして造った家ですが、ヒビが入ったり、窓の鍵のかかり方がおかしくなったり、余震のたびに天井からサラサラと石膏の白い粉が落ちてきます↓↓

建て直す前の家だったら倒壊してたでしょうな。

普段あまり食べないカップ麺やパン(洗い物ができない時の強い味方!!)の生活で、心が弱くなってるんだと思います。

なんとか耐えられるのは友人の支えあったり東北の方を思えばこそ。
あと、家族が無事でいたから
ほんと家族がいてよかったです。

こんな時でも人間、お腹はすくし、トイレにも行きたくなるんだね、と思った。
落ち着いたら機械の体を求めて銀河鉄道に乗るわ。

ではでは(^O^)/

2011年03月15日(火)
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