本日昼より『北の零年』、家族全員で、異様にじじばば密度の高い観客の中で観て参りました。 主演は日本映画界が誇る永遠のミューズ、吉永小百合。 先に観た竹澤さんがHPの日記に、
「吉永小百合は可愛い!美しい!最高!!」
と感想を書いていたのを読んでいた私は、今年還暦を迎える小百合のいまだ衰えぬ美貌の恐るべき威力は、わかっていたつもりだったのである。 が、朝に紅顔夕に白骨、万物諸行無常の儚さよ。 いくら液晶テレビのCMで、その歳を思わせぬ若さは健在と見せつけ、全国1千万人のサユリストの信仰をいまだ集める清冽な美貌とて、さすがにスクリーンを通した間近で見れば、寄る年波には勝てぬのではないか? その不滅と言われる美とは所詮、マスコミとサユリストの信仰が産んだ幻影ではないのか?『人は必ず老い衰える』という万物の摂理、生物のくびきを離れることはできないのではないのか? つーか、なんぼなんでも、スクリーンに大写しになったら、口許と目元の小皺ぐらいは見えるんじゃねえのか? 見てえ。すげえ見てえ。 小百合の美貌をこの眼で確かめてえ!!映画観られるこの機会がちゃーんす!! ・・・・・・・・などと鼻息荒く劇場に入った私は、予告編が始まる寸前まで、 「あのポスターの小百合の顔は、CG処理で小皺を消しているのではないか」 などと、ものすごく失礼なことを疑って掛かっていた事も白状しておく。 そして映画が始まり、3時間後。
・・・・・・・・・・・申し訳御座いませんでした。吉永小百合様。
・・・・・・・・・よ、吉永小百合って、・・・・・・・・・本当に60歳なのか? 顔全体は適度に齢を重ねていながら、あのヒアルロン酸が滲み出てくるような瑞々しい頬や顎。あどけない少女のような顔の造作はいささかも加齢に崩れることなく、最初から最後まで、天上の気品と貞潔の香気を放っておられました。
小百合オーラは本物でした。
映画自体は、メロドラマ慣れした観客(おばはん)のツボを突いたわかりやすい展開と、『中盤まで一番、青臭い理想をほざいていた善人が、一度崩れるととことんまで崩れ去る』『しかもラスボスだった』とゆー身も蓋もない筋書きの話だったんだが、そんなことはどうでもいい。 「明治政府の書かれ方が、おっとろしく類型的」 とか、 「敵に撃たれて持ち物の馬に全部逃げられて、小百合とその場にいたメンツがいきなり、やみくもに、どっかの土地を勝手に耕し出したのは、現実逃避なんだろうか」 とか、 「札幌に行くにしても、何も轟々たる吹雪の中を出掛けて行って案の定遭難することもなかったんじゃないか」 というツッコミもこの際不要である。 いいや、競演のケン・ラストサムライ・ワタナベもトヨエツも、かなりご都合主義のストーリー展開も、あれだけ勝手な周囲に振り回されても、何故か菩薩のような慈悲深さを失わないヒロイン小百合の完璧すぎる人間像も、全てはサユリサマの美貌を際立たせる、その為だけに存在している!! そう、ウニだって北海道の獲れたてであれば、寿司屋の梅さんや板前が腕を振るわずとも、コンビニで買った醤油とほかほかご飯さえあれば、極上の美味なるウニ丼が堪能できるというものだ。 ウニ丼は、極上のウニだけあればいい。 同じようにあの映画も、
サユリサマと北海道の壮大な自然以外、何も要らん!!! それだけで観客、おなかいっぱい!!! ・・・・・・・・と書くとものすごく映画の出来がプーみたいな言い草だが、実は結構面白く観られました。はい。 あと、余談であるが、アシリカ(トヨエツ)の『死に場所を求めて広大な北の平原を疾走する、蓬髪の裸足の侍』というシチュエーションは、侍スキーMとしてはプチ萌えでした。 てなわけで竹さん、トップ画像にアシリカさんの絵、密かにお待ちしております(笑)。
あと、HPは昨日、幾つかの検索エンジンに登録申請して、HTMLタグを幾つか仕込んでみやした。 いくら「目指せ365日閑古鳥サイト」ったって、このままでは完全に誰も来ず、管理人の専用データ置場になってしまうことも十分あり得るので。 まあ、小説や絵を置いていながら創作サイトを目指す気もなく、何がしたいというサイトでもないので、来訪者の数がそんな上がるとも思っていないんですが。 HPも少し落ち着いたので、ますますのんびりやる所存です。
書く書くと言って、じぇんじぇん書いとらん小説の方もいい加減あるしな(・・・・・・・・チッ)。←あっ 今年こそ書ければいいなーと言ってもう一ヶ月、みたいな。
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