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2011年07月20日(水) よりによって……

先日、友人と会ったときのこと。「ちょっとこれ、読んでみてくれる?」と彼女が携帯を差し出した。
今朝義母から届いたメールだという。嫁姑の関係は良好だと聞いたことがあったので、「なんかおもしろいメールでも届いたのかな?」と読みはじめたところ、そこに並んでいたのが友人に対する不平不満の言葉だったので驚いた。
新聞の人生相談欄などで、姑が嫁について「実家には頻繁に帰るのに、こちらにはちっとも孫の顔を見せにこない」とか「よくしてあげているつもりなのに、母の日に花一本持ってこない」と愚痴をこぼしているのを見かけるが、友人の義母のそれもまた「嫁の気遣いと常識の欠如」を嘆くものだった。日頃は穏やかに接しながらも思うところが相当あったらしい。
しかし、読み進めるうちにさらなる驚きに出くわした。最後まで読み、私は嘆息しつつ言った。
「このメール、ほんまは誰に送るつもりやったんかな。これ、間違いメールだよね?」
「そうなの、義妹に書いたメールを私に送っちゃったらしいわ。宛て先を間違えるにしたって、なにも本人に送らなくてもいいじゃない……」

書いている最中、嫁のことで頭がいっぱいだったものだから、無意識に送信先に選んでしまったのだろうか。ああ、おそろしい。
しかし、こういう「しゃれにならない誤送信」はしばしば起こるようだ。以前勤めていた会社の同僚は上司の悪口を長々と書いたメールを本人に送ってしまい、呼び出されてこっぴどく叱られた。内容についてではなく、勤務時間中に私用メールをしていたことを、だったそうだけれど。隣席の女性が社内恋愛中の男性に宛てたメールが営業部全員に一斉送信されたこともあったっけ。
「発言小町」でも、「今日は排卵予定日だから早く帰ってきてね。先月あなた、先に寝ちゃったでしょ〜プンプン(`へ´)」というメールを義母に送信してしまった、というのを読んだことがある。「孫の誕生を楽しみにしています」と返事が返ってきたそうだが、私だったら半年は立ち直れまい。

「これ、どうしたらいいと思う?」
と彼女が言う。
これはむずかしい問題だ。間違いファックスは「誤送信です」と書いて送り返すのが親切だというけれど、この場合はどうなのか。
たわいないメールであれば「宛て先間違ってますよ〜」と教えてあげられるが、今回は内容が内容だけに悩ましい。たとえ謝られても、いつもこうして私の愚痴を娘にこぼしていたんだなと知ってしまったから友人の気が晴れるわけではない。
かといって、黙っていたほうがいいとも思えない。義母もじきに送信ミスに気がつくから、次に顔を合わせたときのことを思うと、いまの時点で一定の解決はしておいたほうが気持ち的に楽なんじゃないだろうか。
とはいえ、友人は大きなショックを受けているし、本人に読まれたと知れば義母の動揺もかなりのものになるだろう。感情的なやりとりになってしまってはいけない。
自分だったらどうするかとめいいっぱい考えて、ご主人にあいだに入ってもらうことを勧めた。

* * * * *

こういう「よりによって……」な話を聞くと、私にもひとつ思い出すことがある。
三年前、今の家に引越してきて間なしの頃、玄関を掃いていたら隣家の奥さんに声をかけられた。
「これがうちの庭に落ちてたんですけど、小町さんのところから飛んできたんじゃないかと思って」
彼女が差し出したものを見て、私は悲鳴を上げそうになった。たしかにうちの枕カバーである。しかし、それはただの代物ではなかったからだ。
その枕は結婚したときに友人がプレゼントしてくれたものである。披露宴の余興の終わりに彼女たちが言った。
「本当におめでとう!お祝いにイエス・ノー枕を贈ります。○○くんの方は表がイエスで裏がノー。でも小町ちゃんはたぶんノーはいらないと思って、イエス・イエス枕にしておきました」
ウケ狙いで作られたド派手な枕を高々と掲げられ、私は親や親戚の前でなんてことを!と赤面を通り越して真っ青になった。そのイエス・ノー枕のカバーだったのだ。

「まああ、すみません」
にこやかにそれを受け取り、ちょうど掃除が終わったふりをして家に入り……私は床に突っ伏した。
たまたまピンチがはずれ、風に飛ばされたのがタオルでもワイシャツでもなく、どうしてこれなのだ。誰に拾われても恥をかかない洗濯物はいくらでも干してあったのに!
仕事から帰ったご主人に「ねえねえ、お隣さんったらイエス・ノー枕なんか使ってるのよ〜」「大きなハートマークのアップリケがついててね、お手製だったわよ」なんて報告されるんじゃないだろうか……。
違う、違うのだ。私は本来の用途でそれを使ったことは一度もない。大きさと厚みがちょうどいいので授乳クッションとして利用していたのだ。
ああ、しかし誰がそんなことを察してくれるだろう。

ところがしばらくしてから、実はこの時点では恥ずかしいことなどひとつもなかったのだ、ということが判明する。本当に恥をかいたのは後日、その奥さんと立ち話の最中にこの件について釈明しようとしたときだった。
「勘違いされちゃったかもと思ったら、もう恥ずかしくって。あははは」
とわざとあっけらかんと言ったら、彼女は無邪気に言った。
「そのイエス・ノー枕ってなんですか?」
な、なんですって?
「ほら、『新婚さんいらっしゃい!』でプレゼントされるアレじゃないですかー」
「その番組見たことないんですよね」
……愕然。イエス・ノー枕を知らないとは。
「なにがイエスとノーなんです?」
と畳み掛けられ、頭を抱える。これからもお付き合いがつづくご近所さんである。露骨でない言葉を選ばなくては。
「それはその、なんていうかな、つまり夫婦のサインといいますか……」
しどろもどろに答える。「今晩オッケー」なときはイエスが見えるように枕を置き、「ダメ」なときはノーを表にする。夫と妻、両方の枕がイエスだったら合意成立、というわけで……なんてことを道端で解説する恥ずかしさ、ばかばかしさといったら。

授乳クッションとしての役割を終えたその枕は、現在押入れの中で眠っている。しかしあれ以降、風のある日は私のパジャマや夫のよれよれのTシャツは部屋干しすることにしている。


【あとがき】
イエス・ノー枕を知らない人がいるとは思わなかったなあ。その用途を聞いたお隣さんは「なるほど!そういう意味なのねえ!」といたく感心していました(恥のかき甲斐があった、と思うことにしよう)。
実際に使っている夫婦がいたらほほえましいですね。そういう茶目っ気のある夫婦っていいなあ(*^―^*)