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2008年11月06日(木) 「車が趣味」という男性

友人に熱心に勧められて、最近内田康夫さんの浅見光彦シリーズを読んでいる。
彼女は二十年来のアサミストで、まとまった休みがとれると事件の舞台になった場所を旅して、浅見光彦の足跡を辿るのを無上の楽しみにしている。浅見の自宅を探して東京・北区西ヶ原周辺を歩き回ったこともあり、その際北区役所に寄って彼の住民票をもらってきたというから生半可なファンではない。
「家こそ見つからんかったけど、『滝野川署』も『平塚亭』もほんまにあって、西ヶ原の街並みも話に出てくる通りやった。だからいまにも浅見さんが通りかかりそうで、ドキドキしながら歩いたわ……」
彼女曰く、浅見光彦はこれまで出会った中で最高の男性なのだそうだ。
たしかに、魅力的なキャラクターである。テレビドラマでは沢村一樹さんや中村俊介さんが演じる「長身で育ちのよさを感じさせる二枚目」だから、毎回美人のヒロインに思いを寄せられる。だがどうこうなることはなく、女性にガツガツしていない……というより奥手なところも好ましい。友人が軽井沢の浅見光彦倶楽部クラブハウスに行ったらほとんどが女性客だったというのも頷ける。
しかしながら、私は彼についてひとつ「うーん」と思っている点があるのだ。
それは、彼の「クルマ命」なところ。彼の愛車は白のソアラなのだが、「こと車に関しては神経質になる」とか「浅見にとって命より大事なソアラが」といった記述を初めて目にしたときは、思わず「光彦、おまえもか……」とつぶやいてしまった。

世の中にはどうしてこう自分の車が可愛くて可愛くてしかたがないという男の人が多いのだろう。
先日読んだ柴門ふみさんのエッセイにも車好きの夫(漫画家の弘兼憲史氏)についての話があった。ほんのちょこっと汚れや傷がついただけでキーキー騒ぎ、泥を持ち込まれるのを嫌って雨の日は家族を車に乗せない。子どもたちが車内でものを食べるのも許さないし、新車のうちは土足禁止だったそうだ。
「なんのための自家用車だ」という柴門さんの言葉に、私は深く深く頷く。私の身近にも車に並々ならぬ愛情を注ぐ人がいるのだ。
夫は駐車場に車を停めるとき、ドアパンチを恐れてガラガラに空いている階までひたすら上がっていく。スーパーで肉や冷凍食品を買い、氷やドライアイスを詰めようとすると、「結露でラゲッジルームが濡れるじゃないか」と文句を言う。ホイールに一センチの傷がついたといって修理に出す。
「そこまで用心せんでも、へこんだ車とか営業車とか子どもの乗っていそうな車の隣を避けたら大丈夫ちゃうん」
「荷台が濡れる?拭いたら済む話やん」
「しゃがみこんで目を凝らしてやっと見える傷なんか誰も気づかんって」
と言いたくなるが、車好きの心を踏みにじるものなのだろうなと思い、ぐっと呑み込む。
しかし、この春引越しをすることになり家探しをしたときはさすがにうんざりした。夫が「シャッター付きの掘り込みガレージか、屋根・扉付きのガレージがある家」にこだわったからだ。どんなに間取りや周辺の環境のよい物件を見つけても、青空車庫だと問答無用で却下される。
「屋根がないと日焼けするし、雨ざらしになるし。扉がないといたずらされるかもしれないし」
「そんなん言うたって、あらゆる希望を満たす家を借りられるほどの家賃は払えんのやから、ガレージに多くを望むんは無理やわ」
駅やスーパー、学校からの距離とか通学路の安全性とか、こだわるべきことはほかにいくらでもあるじゃないか。優先順位が間違っている。
しかし、彼にとって車庫の充実は後回しにできる条件ではないのだ。下見に行った先で、いそいそとガレージの大きさを測ったりシャッターを上げ下ろししたりするのを見て、「あんたはガレージに住むんかーっ」と叫びそうになった。


この話を既婚の友人にしたら、「私も週末のたびにキレてるわ」と言う。
彼女の夫は休日は必ず車を洗い、目を皿のようにしてぴかぴかに磨きあげるという。半日仕事であるが、それが終わるまでは用事を頼めないし、出かけることもできない。
「洗うのがそんなに好きなら、休みの日くらい子どもをお風呂に入れてよ!」
彼女にとって車は消耗品という認識。だからそれを宝物のように扱い、その“世話”のために家族との時間を持ち出す夫が腹立たしくてならず、しばしば揉めるのだそうだ。

車についての考え方、思い入れは人それぞれ。とはいえ、命より車を大事にしたり、人間より車の住み心地を優先したり、子どもを洗ってやるより洗車に幸せを感じたりする人が家族だったら、やっぱり困る。
その存在が夫婦ゲンカの種になっている罪つくりな車は世の中に少なくないのではないだろうか。

【あとがき】
車についての考え方は本当に人それぞれですね。「単なる足」という人もいれば、壊れ物のように大事に大事に扱う人もいて。
うちの夫は学生時代チューニングショップでアルバイトしていて、自分でエンジンを組んだりするマニアですが、私は車種の見分けもつかないクルマ音痴。自分が運転する車も「走れば(どんなのでも)よい」というタイプです。けれども、だからといって彼の趣味を「そんなのどうでもいい」とは全然思っていない。ただ、「バランスの悪さ」をなんとかしてほしい、ということなのです。独身の人が一人暮らしの部屋を探す時に「車庫」を最優先したり、休日丸一日車いじりで過ごしたりするのはおかしくない。けれども、妻と子どものある人が家族と住む家の条件のトップに車庫をもってきたり、休日に家事育児をほっぽりだして洗車に明け暮れたりするのは変だ、と私は思う。
車が原因で恋人や奥さんとよくケンカになるという男性は、生活を振り返り「なにかが偏っていないか?」を考えてみるとハッとするところがあるかもしれない。