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2006年04月12日(水) 大人になって知ったこと

「一時間前に無事生まれました。三千二十グラムの女の子です」

朝の五時過ぎ、母からメールが届いた。昨夜陣痛が始まり入院したと聞いていたので、いまかいまかと連絡を待っていたのだ。もちろん母が産んだのではない、妹の初出産だったのだ。
母子共に元気と聞いて胸をなでおろす。

……とそのとき、ピロピロともう一通メールが。
「がんばったよ〜!」
なんと、妹本人からではないか。

「あんた、いまさっき生んだばっかりとちゃうん!?」
「そやで〜。痛かったよおおお」

私のイメ―ジでは出産後は体力を消耗して口もきけない状態で、赤ちゃんの顔を見て安心したらしばらく昏々と眠る……というものだったので、一時間後に携帯メールが届いたのには驚いた。みんなこんなにタフなのかしら。
この一週間、何度も妹の夢を見、無事に生まれてくれますように……とそのことばかり考えていた。私はなにもしていないというのに、すっかり肩の荷が下りた気分だ。


赤ちゃんができたと妹から知らせがあったのは、妊娠五ヶ月に入ってからのことだった。
「報告が遅なってごめんな。あっちのお父さんお母さんにもさっき連絡したとこやねん」
安定期に入るまで言えなかったという彼女の気持ちは痛いくらいわかった。
私とひと月違いで結婚した妹は、姉と違って早くから子どもが欲しいと言っていた。まもなく妊娠、私にエコー写真を見せたときの「うれしくてたまらない!」という顔を昨日のことのように覚えている。
が、その後すぐに流産。「その日からぴたりとつわりが止んだ」と泣いて泣いて、仕事のストレスのせいだろうか、職場の引越しの際に荷物を運んだのが悪かったのかもしれないと自分を責めた。だから次に妊娠したときはとにかくリラックスと安静を心がけた。
でも、まただめだった。
初期流産の繰り返し。妊娠しないのもつらいと思うが、妊娠はするのにおなかの中で育たないというのもつらい。
不育症の治療で産婦人科に行くたび、待合室で大きなおなかの妊婦さんと一緒になる。廊下を歩けば元気な産声が聞こえてくる、赤ちゃんを抱いたママとすれ違う。必死で涙をこらえ、家に帰ってわんわん泣いたそうだ。母からその話を聞き、「産婦人科というところはそんな残酷なつくりになっているのか」と私は愕然とした。
「また今度もだめだったら……」
悲しみの上に周囲に説明しなくてはならない苦痛まで味わいたくないと考えるのは当然だ。

そして私は私で、妊娠のニュースは無事に生まれてくるまで人には話さないでいようと思った。
夢は人に話したら正夢にならないというジンクス。そういうものを信じる私ではないけれど、今回ばかりは。だから家族に準ずる人以外には話さなかったし、もちろんここにも書かなかった。
そして、待ち望んだ解禁日がやってきた。

* * * * *

街で子どもと手をつないで歩いているママを見ていると、彼女たちにとって子どもが隣りにいるのはすでに「当たり前の風景」になっているのが伝わってくる。
そんないまの姿からは想像できないけれど、しかしその中にはつらい経験をし、苦難を乗り越えてようやくその幸せを掴んだという人もきっと少なくないのだろう。

以前、友人がこんなことをぽつりと言った。
「私、いままで結婚っていうのは誰の人生にも当たり前に用意されてるステップやと思ってた。けどそうじゃないんやな」
「どういう意味?」
「中学行って高校行って大学行って……って自然の流れでここまで来たやん?私は長いこと、結婚もそれと同じやと思ってたわけ。つまり大学を卒業したら次は就職するみたいに、適当な時期になったら誰でも結婚することになってるもんやと思い込んでた。でも私の人生には『結婚』っていう名のステップは用意されてなかったみたい……」

たしかに、十代の頃は結婚も子どもも「望めば与えられるもの」だと思っていた。
人生におけるそれらの“節目”は標準装備ではなくオプションだったのだと知ったのは、すっかり大人になってからだった。