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2006年04月14日(金) 「立ち会い出産」のイメージと現実(前編)

まず最初にお礼を言わせてください。
前回の日記にたくさんのお祝いのメッセージをいただきました。プリントアウトして妹のところに持っていきたいと思ったくらいうれしかったです。本当にありがとう。

* * * * *

さてさて。“解禁”になったとたん、人に話したくてたまらなくなった私。翌日早速同僚に話したら、四年前に彼女が娘を出産したときの話になった。
だんなさんが立ち会ったと言うので、どうだった?と軽い気持ちで訊いたところ、彼女の言葉に思わず耳を疑った。

「あれやったら、立ち会ってもらう必要なかった」
そ、そうなの!?またどうして。
「だって、ボーッと突っ立ってるだけやねんもん」

脂汗をかいて痛がっているというのに、夫ときたら心配そうな顔をしているだけで、いちいち頼まなければ汗を拭いてくれることも腰をさすってくれることもない。気の利かない人であるのはわかっていたが、「こんなときくらい頭働かせてよ!」と彼女はのた打ち回りながら怒りさえ湧いたと言うのである。
だからもし次があったら、今度はひとりで産むと決めているという。

本当に驚いた。そんな答えが返ってくるなんて思ってもみなかったんだもの。
私は帰宅するや、妹の携帯に電話をかけた。もちろん立ち会い出産の感想を聞くためである。
同僚みたいなのはきっと特別なのだ。妹からは「よかったよ〜。ふたりで産んだって感じがしたもん」「ずっと支えてくれて、惚れ直しちゃった」なんて言葉が聞けるに違いない。
……それなのに。
彼女は受話器の向こうで、「うーん」となにやら考え込んでいるではないか。

「たしかに、こっちはすごい緊張してるし、そばにいてくれて安心できたっていうのはあったよね。なんでも頼めるし」

うんうん、そうでしょうそうでしょう。即答してくれないから一瞬不安になっちゃったじゃないの。
と、ほっとしたのも束の間。

「でも正直、一緒に産んだー!とかいうのはなかったよ。支えてくれたっていうより、横についててくれたって感じやった」

がーーん。あんたまでそんなことを……。
そして、うなだれる私に妹は追い討ちをかけた。
「陣痛がはじまってから産むまでに時間かかったから、途中○○君、隣りで本読んだりしてたし」
ええーー!?ビデオカメラを回す人がいるというのは聞いたことがあるけれど、本って……。

これが他人の話だったら、「あなたのだんなさん、ちょっとひどいんじゃないの?」と私は憤慨し、呆れたかもしれない。が、義弟が、と聞いたときはただただ意外に思った。
なぜなら、彼は無神経で薄情な男などではまったくないのだ。会うのは数ヶ月に一回、実家で一緒にごはんを食べるときくらいのものだが、妹を大事にしてくれているという感じがちゃんと伝わってくる。私の目がふしあなでなければ、妻に愛情を持った、どこにでもいるふつうの男性なのである。
そうか、そういう人でもそのとき妻の期待に満足に応えられないことがあるんだなあ……。


立ち会い出産というものについて深く考えたことはないけれど、「好ましいこと」という印象は持っている。
心強いとか頼みごとがしやすいとかいった実質的なメリットももちろんあろうが、誕生の瞬間を夫婦で共有できるのは文句なしにすばらしいことだ。
ひと昔前であれば、夫は分娩室の前を行ったり来たり、灰皿には吸殻の山……というのが当たり前だっただろうが、夫婦ふたりの子どもなのだもの、夫がその場に立ち会うのはごく自然なことであり、そのとき妻を支えるのは本来あるべき姿なのではないか、とさえ思う。
そして、それが叶えられた妻からは夫への感謝と「立ち会いにしてよかった」という言葉が聞けるもの。私はそう想像していた。

しかし、どうもそれはかなりのんきで美しい思い込みであったらしい。 (つづく