これは世の少なくない奥さんに同意していただけるのではと思うのだが、夫が突然人を連れて帰ってくることほど妻を慌てさせることはない。
終電に乗り遅れたから一緒に飲んでいる後輩を泊めてやりたいんだけど……と夜中の一時に夫から電話がかかってきたことがある。眠気は一瞬にして吹き飛んだ。
「い、いまから!?そんなん無理に決まってるやろーっ」
しかし、男の人には掃除のことや翌日の朝食のこと、すでに化粧を落としパジャマになっていることやその他もろもろの事情が想像できないらしい。「平気平気、ソファにでも転がしておけばいいから」とお気楽なもの。そんなわけにいかんでしょうが……。
しかも、その電話を席を外さずかけてくるのだからたまらない。その後輩が隣りにいると思ったら、断るに断れないじゃないか。
「今後、こういうことは困るからね!」
事前に知らせてくれてさえいれば、夫の友人が家に遊びに来るのは決して嫌いではない。彼らと会うことで私の世界も広がるし、なにより「いろいろな男の人がいるんだなあ」ということがわかっておもしろいから。
コーラが大好きでお茶がわりに飲むと聞いていたのでペットボトルを用意していたら、本当に一晩で一・五リットルを飲んでしまった人がいたり、朝食の支度中「おはようございます」という声に振り返ったら、トランクス姿だったという人がいたり。食事の後、空き缶は水ですすぎペットボトルはキャップを外し……と完璧にゴミを分別してくれた人もいた。
布団を畳む人もいれば、起きたままの状態にしている人もいる。帰り際、「ごちそうさまでした」と言う人もいれば、言わない人もいる。奥さんの“躾”が垣間見られて実に興味深いのだ。
さて、先週末は夫の年下の友人が北海道からやってきた。
前に一度会ったことがあるのだけれど、風貌もノリもいかにもいまどきの男の子という感じ。なので、「肴をよろしくね」と夫から頼まれてもプレッシャーはなかった。
義母が家に来たときはそりゃあ緊張したものだ。義母が家に来たときはそりゃあ緊張したものだ。義母はものすごく料理上手な人だから、米の水加減は念入りにチェックし、味噌汁のだしはいつもより上等の削り節でていねいにとった。献立にもうんと頭をひねった。
けれども今日はそんな神経を遣う必要はない。多くの独身サラリーマンがそうであるように、彼も「昼は吉牛、夜はコンビニ弁当」というジャンクな食生活を送っている男の子であろう。なにを出してもおいしいと思ってくれるに違いない。そう私は踏んでいたのだ。
……が。
これお土産です、と彼は「京の地豆腐」と書かれた紙袋を私に差し出した。豆腐に油揚げ、ひろうすなどが入っている。京都の豆腐はおいしいと有名である。わあ、うれしい。
でも男性が選ぶ手土産としてはなかなかユニークなチョイスよね?
「僕、学生時代ずっと豆腐屋でアルバイトしてたんですよ。で、京都にうまい豆腐屋があるって聞いてたんで、ここにくる途中に寄って買ってきたんです」
なるほど、そういうわけね。
リーフレットを見ると贈答用の立派な詰め合わせもある。これ、一丁いくらするのかしら……と思ったら夫も同じことを考えたらしい、彼が訊いたら四百円という答えが返ってきた。
その豆腐を早速冷やっこでいただく。初めはなにもつけずに食べるよう書いてあるので、その通りにしたら……おおっ、甘い。一丁百円のいつもの豆腐には感じたことのない大豆の甘味である。
「ええー、なんで豆腐にこんなに味があるの!」
私は醤油も薬味もなしで食べきってしまった。
が、ふと見ると男の子の顔が曇っている。
「うーん、評判ほどの味じゃないですね。これなら僕がバイトしてた店のやつのほうがずっとうまい」
と彼。えっ、そうなの?私、むちゃむちゃおいしくいただいたけど……。
「豆腐ってね、同じ材料で同じように作っても毎日味が違うんですよ。うまくできる日もあれば、だめな日もある」
「それは大豆そのものの味の違い?」
「それもありますけど、工程上のほんのわずかな差が出来の違いになるんです」
「へええ、そうなの。でもそれだけ味の見分けがつくってすごいよね」
「僕ね、こう見えてけっこう舌が利くんです。だからまずいものなんかぜったい食べません。こないだもうまいって評判のラーメン屋に行ったんですけど、ふたくちで出てきちゃいました」
心の中でひええと叫ぶ。あなた、手作りでできたてならなんでもオッケーな人じゃなかったのお!?
その後は枝豆をゆでるのにも緊張を強いられた私。談笑しながらも、彼の箸の進み具合が気になってしかたがない。
「これ、レバニラ?僕、レバニラってほとんど食べたことないんですよ」
「そ、そうなんだ。たしかにあんまり家ではしないかもね……」
と平常心を装いつつ、「へえ、おいしいですね」が続くのを期待したのだけれど。ムム、いまいちお口に合いませんでしたでしょうか……。
人懐こい男の子で会話はとても楽しかったのであるが、私は彼がなにをどのくらい食べているかばかり気にしていたので、寝室に引き上げたときにはくたくたになっていた。
* * * * *
先日、「自分より家事能力に長けている夫だとちょっと困る」と書いたが(三月三十一日付 「夫婦の“家事”観」)、夫の舌が肥えすぎているというのも妻にとっては同じくらい難儀なことである気がする。
うちの夫は手の込んだおかずを出そうがお肉を奮発しようがちっとも気づかない味音痴。作り甲斐がないなあと何度思ったかしれないが、そのかわり手を抜いても失敗してもそうと気づかずニコニコして食べている。
違いのわからない男だと嘆くばかりでもないのかもしれない。