2006年04月07日(金) |
「本にカバーはおつけしますか?」 |
先日新聞の投書欄に、三十代の女性が書いた「ブックカバーを付けるのは疑問」というタイトルの文章が載っていた。
書店で本を買うと当たり前のようにブックカバーをつけて渡されるが、読むのに邪魔だし、紙の無駄遣いである。私は必要ないと思っている……という内容だ。
たしかに本の包装は過剰である。私にもひとつ、以前から疑問に思っていたことがあるのだ。
こちらが制止しない限り、店員さんはカバーをつけ、輪ゴムをかけ、袋に入れてくれる。あの輪ゴムの意味がよくわからないのだ。
複数冊の本がばらばらにならないようにするため、というわけではないらしい。最近紀伊國屋で文庫本を一冊買ったときも、店員さんは輪ゴムをかけようとしていたから。ではカバンの中で本が開かないようにするため?
だとしたら、過保護なサービスだよなあ。本にカバーをつけてくれる国は日本だけだそうだが、輪ゴムも間違いなくそうであろう。
私は本を買うとたいてい自宅に帰り着くのを待たず喫茶店や電車の中で読みはじめるので、輪ゴムと袋は投稿者と同じように「資源の無駄遣いだ」と思い、毎回断っている。
しかしながら、カバーは必ずつけてもらう。理由はいくつかある。
ひとつは、買った直後はできるだけきれいな状態をキープしておきたいという気持ちが働くこと。
夫は平積みしてある本を買うとき、一番上にあるものを取ってレジに持って行くが、私にとって一番上は「見本」だ。いろんな人に立ち読みされてページが広がっていたり、角がつぶれていたり、目に見えない汚れだってたくさんついているに違いない。それを買うのはどうにも損な気がする。
「どうせ読んでたらそのくらいの傷、すぐにつくし」
と夫は言う。うん、たしかにその通り。
けれども、自分が読みながらつけた傷と最初からついていた傷とでは気分的にぜんぜん違う。湯船に浸かりながら読んだりするし、保存にもとくに気を遣わない私であるが、買うときは美品を望む。
だからいつも上から三番目くらいのものを抜き、帯や表紙に破れや折れがないか、ハードカバーの場合は明かりに照らして表紙に傷がついていないかもチェックする。状態のよいものがなければ、よその店に行く。
そして、カバーを外すのは読み終えたとき。よって自宅の本棚はどれが未読か、それが何冊くらいあるか、ひと目でわかるようになっている。
再読の際に外に持ち出すときはちゃんとした布のブックカバーをかける。
私がカバーを求めるもうひとつの理由は、買ってすぐ読むときにそれがないと周囲にタイトルがばればれになること。
自分がなにを読んでいるのか、私は人に知られたくない。べつに人前で読むのがためらわれるようなものを読んでいるわけではない。「好み」にはその人の内面が現れるから、頭の中を覗かれるようで嫌なのだ。
私がサイトにリンクページを置かないのも、携帯の着信音を着メロにしないのも同じ理由である。
表紙を裏返して白地の面を表にして巻いている人をときどき見かけるが、あれは表紙が傷むし、「本をかわいがっていない」感じがして好きになれない。なので、レジでカバーをつけるかどうか訊かれたら「お願いします」と答える。
* * * * *
本にカバーは必要という人の多くは上記のどちらかを理由に挙げるのではないかと思うが、中にはこんな意見もある。
以前、「なぜ本にカバーをつけるか」というテーマで話している場に、
「自分はこういう本を読んでいるんだというのを人に知られるのが嫌というよりも、『コイツは自分はこういう本を読んでいるんだというのをみんなに知って欲しがっている』と思われるのが嫌」
と言う人がいた。ふ、深い……。
また、私の知り合いには「書店によってデザインが違っているので、集める楽しみがある」と言う人もいる。遠方に出かける機会があると、カバー欲しさに本を買うのだそうだ。
「本にカバーをつける」というなんてことないように見える選択も実は人それぞれ、さまざまな事情や衝動に突き動かされての結果なのだ、と思うと興味深い。
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