2006年02月03日(金) |
日記だからってあてにはならない |
旅行の計画を立てるため、友人とネットカフェに行ったときのこと。
電車の乗り継ぎや観光ルートの下調べを済ませ、さあ出ようかとなったとき、「あ、メールチェックしてもいい?」と友人。もちろんと答えると、彼女は「mixi」の画面を開いた。
えー!と声をあげる私。彼女の自宅にはパソコンがない。携帯メールだと長い文章を送れないため、「いい加減、パソコン買ってよお」と言い続けてきたのであるが、答えはいつも「どうせすぐ埃をかぶったただの箱になる」。そのくらいネットに興味のなかった彼女がどうしてmixiを?
そんな私の心をよそに、「これ知ってる?会社で流行ってて最近やりはじめてんけど、けっこうはまるわ」と彼女。仕事中にメールや日記を書いていると言うではないか。
しかし、驚いたのはそれだけではない。
「そうそう、○○さんとか△△君とかもやってんねんで」
と言って彼女が開いたのは、私たちが大学時代に所属していたある団体のコミュニティ(mixi内サークルとでも呼ぶべき、特定の趣味や関心を持つ人たちの集まり)。
登録者が五十人以上いる。mixi歴は一年になるが、私はそんなコミュニティがあることを、ましてやそんなにたくさんのOBがmixiをしていることなど想像もしていなかった。
みんな当時のあだ名でやっているから、誰が誰だかすぐにわかる。おおよそそんなことをしそうにない人たちがせっせと日記を更新しているのを見て、ひっくり返りそうになった。
書き手が読み手を選ぶことができるmixi日記と開かれた場所にあるweb日記は同じものではないとはいえ、「パソコンで日記を書き、webで公開する」という行為はここまで普及していたんだなあ……。
* * * * *
そういえば、最近は芸能人だけでなくスポーツ選手も政治家も作家も社長も、みんな日記を書いている。「えっ、こんな人まで!」と驚くことも少なくなく、私など「猫も杓子も」という言葉を聞くと思わず「ブログ」とつぶやいてしまうくらいだ。
ブログの隆盛を実感するのはそれだけではない。
若者が犯罪を犯すと、容疑者が開いていたサイトがテレビで取り上げられることがとても多いのだ。タリウムで母親を殺害しようとした女子高生やスクープ欲しさに放火をして回っていたNHKの記者、一番最近見たのは京大のアメフト部員による集団レイプ事件の容疑者の日記。
「自動車教習所の適性検査で、『体は大人だが、精神は子どものまま』という人格を否定されるような結果が出ましたw」
というような文章が紹介されていたっけ。
ワイドショーのコメンテーターがそういうものから容疑者の性格を語ったり動機を推察したりしているのを見ながら、ふと思う。
もし私がよからぬことをしでかし逮捕されるようなことがあったら、この日記からも文章が抜き出され、「この人は自己顕示欲がかなり強いですね」「はっきりものを言うタイプですから、私生活でもトラブルが云々……」なんてことを言われたりするのだろうか。
ううむ、それはちょっと困るよなあ。こういう場面で登場する昔の同級生の記憶や近所の評判も相当いい加減なものだと思うけれど、“日記”だって同じくらいあてにならない、と私は思う。
日記書きさんとメールのやりとりをしたり実際に会ったりすると、文章から想像していたのとかなり違っていた、ということはめずらしくない。
たいていは日記の中のその人よりも地味だ。イメージより実物のほうが豪快だ、という人にはいまのところお目にかかったことがない。
そこまでギャップが大きくない場合でも、書き手は多かれ少なかれ「自分をこう見せたい」というものは持っていて、その部分をクローズアップ、あるいはデフォルメし、“見え方”をコントロールしているだろうと想像する。男性日記書きさんには「非モテ」を売りにしている人がとても多いが、もしそれがすべて真実だったら世の中は三枚目だらけになってしまう。現に、本当は恋人がいるのだが、キャラクター上いない風を装っている男性を何人か知っている。
以前、私は二百五十人の方にご参加いただいて自分のイメージ調査をしたことがあるのだけれど、「気が強い」「しっかりしている」「さばさば」「意志が強い」といったコメントでメールボックスがあふれ返った(参考)。
しかし実際は、初めましてのメールに返信すると「もっと怖い人かと思ってたけど、とってもフレンドリーだったのでびっくりしました」としょっちゅう言われるし、個人的な付き合いのある人たちは先に挙げた印象がきわめて偏ったものであることを(ついでに、結果ほど美人でないこともね……えぇえぇ)知ってくれている。
それに私の日記に限って言えば、日付だってかなり適当だ。
ここ数ヶ月で起きたことは「先日」「最近」「このあいだ」で済ませるし、出来事を自分の中ですっかり消化してから書くことが多いため、「昨日」という記述がない限り、たとえば悲観的なことが書かれてあるからといってその前日に私の身になにかが起こった、というわけではない。
そういったことを考え合わせると、本人が自身について語っているからといって、必ずしもそこにある姿が本物で、内容が正確であるとは言えない。
「日記という個人的なものをどうして他人に見せたがるんでしょう」なんて首を傾げるワイドショーの司会者やコメンテーターはそういうことを想像もしないから、したり顔でああだこうだと人物像を分析するわけだけれど。
もし自分の文章でそんなことをされたら。
「とてもこんなことをするような人間には思えませんけどねえ」くらい言ってほしいものだが、あまり期待できんな……。
人様に迷惑をかけることはあっても、悪いことだけはしないで生きていこうっと。