「パパッ、そんなことしちゃダメでしょ!」
洗濯物を干していたら、隣家のベランダから女の子の声が聞こえてきた。いったいなにをしたのだろう、ご主人が「だってリサ、パパだってさあ……」と小学生の娘相手に言い訳をしているのが可笑しい。
ところで、このおしゃまな女の子の話し声は普段からよく耳にしているのだけれど、私はいつも感慨を覚える。
完璧な関東弁だからだ。
五年半前、私がこのマンションに越してきたときにはすでに隣の一家は住んでいたから、彼女は物心ついたときから家の外では関西弁にさらされてきたはず。にもかかわらず、言葉遣いにも発音にもそのかけらさえ見られない。
ずっと関東弁で生きてきたパパとママが転勤でやってきた土地の言葉に染まらないのはわかる。しかし、なんでも貪欲に吸収する時期にある子どもが学校の先生やクラスメイト、近所の大人の“しゃべり”の影響を受けずにいることには驚かずにいられない。
「関西弁は品がない。女の子だから標準語を話させよう」という家庭方針でもあるのだろうか。
* * * * *
昨日の読売新聞の投書欄に方言に関するちょっぴり切ない文章が載っていた。
投稿主は夫の転勤で関東から関西に越してきた主婦。娘は新しい幼稚園で楽しくやってくれているとばかり思っていたが、実は言葉の壁のせいで孤立し、毎日一人遊びをしていたらしい……という内容だ。
担任の先生は生粋の関西人。たとえば、
「みんなに『よせて』って言って仲間に入れてもらい」
「○○ちゃん、おもちゃをなおしてきてね」
と言うのだけれど、関東生まれの女の子には意味がわからない。
「止(よ)して」と言ってどうして仲間に入れてもらえるんだろう?「直せ」と言われてもおもちゃなんか修理できない……。
年長になるときに投稿主の女性が担任から受け取ったコメントには、「いくら言ってもおもちゃを片付けない」と書かれてあったそうだ。
言葉の意味を把握することにおいては、関西人にとっての関東弁より関東人にとっての関西弁のほうが手ごわいと思われる。標準語はテレビで始終流れているから、上京した大阪人が相手がなにを言っているのかわからなくて苦労するという場面はそうないだろう。
付き合った人の中に東京出身の男性がいたが、耳慣れない言い回しが多いのと早口でまくしたてるように話すのとで、こちらに来て半年間は人の話が半分しか理解できなかったそうだ。知り合ったばかりのクラスメイトに「自分、どこの出身?」と話しかけられ「俺が知るわけないだろう!」と心の中で突っ込んだとか、「ゴミほっといて」と言うから放っておいたら後から文句を言われたとかいう話を笑い転げながら聞いたっけ(「自分=アンタ」「ほる=捨てる」、念のため)。
が、その数年後、私自身もカルチャーショックを受けることになった。
惣菜メーカーの企画部にいたときのこと。新商品の発売前日に全国の販売店にプライスカードを送付したところ、「こんなのじゃ売れない、すぐに作り直してくれ!」と関東の百貨店からクレーム電話の嵐。
「どういうことですか」
「こっちでは『ミンチカツ』なんて言わないよっ。『メンチカツ』に決まってるだろ!」
「な、なんですか、そのメンチって……」
「こっちではそう言うんだよ!」
「そちらでは挽き肉のことを“メンチ”って言うんですか?ハンバーグは“合挽きメンチ”で作るんですか?」
「いや、それはミンチ」
「じゃあミンチのカツがどうしてメンチカツになるんですかっ」
「それを言うなら、関西ではマクドシェイクって言うのか?朝マクドって言うのか?」
関東の人がなんと言おうと、関西人にとって「メンチ」は切るものであって(メンチを切る=眼を飛ばす)、カツにするものではないのだ。
しかし、このとき作り直さなくてはならなかったのはミンチカツだけではなかった。ヘレカツのプライスカードも「ヒレカツ」に差し替えなくてはならなかったのである。
ここまで書いて、ポンと手を打つ私。
平日は出張に出かけている夫が週末に帰ってくると、家の中はたちまち子どもが散らかした後のようになる。それを私は彼が横着なせいだとばかり思っていたが、実はそうではなかったのではないか。
「読んだ本はなおして」
「いらんもんはほかして」
ではなく、
「読んだ本は片付けて」
「いらないものは捨てて」
という言い方に変えれば、夫(横浜出身)はテキパキと動いてくれるのではないだろうか。
そうよ、これまでは言葉が通じていなかったのよ、だからに違いない。
……であればどれだけいいか。
そうそう。
前回の「ナンパについての一考察」に、「関西人はナンパをするとき、『茶しばかへん?』と言うと聞きましたが、本当ですか」というメールをいただいたが、いまどきそんなセリフで誘うのはいちびり(おふざけ者)だけ。
道頓堀のひっかけ橋(ナンパのメッカ)に一日立っていても聞けないんじゃないかしらん。