2006年02月06日(月) |
歯を見れば、知性がわかる |
仲良しの同僚はちょっと怖いような犬歯をしている。先の尖ったそれが左右とも大胆に歯列から飛び出しているのだ。
食事中に誤って下唇を噛んでしまうことは誰でもやるが、彼女の場合は「歯が突き刺さる」。さらに驚くべきは、大口を開けて笑うと上唇がその八重歯に引っかかり、自然には下りてこないということだ。手で「よっこらせ」と(言うかどうかは知らないが)下ろさなくてはならないらしい。
「上げたり下ろしたり面倒やから、いっそ上げっぱなしにしとこカナ」
「シャッターじゃあるまいしっ」
突っ込みを入れながら、ふと思う。こんな冗談で笑えるのは日本くらいのものではないだろうか。
私の母は歯の管理にはとてもうるさかった。小さい頃から「歯は財産だから大事にしなさい」と何度言われたか知れないが、ことあるごとに聞かされたのが「アメリカ人は歯をとても大事にする」という話。
風邪を引いて病院に行ってもまず口の中を見られ、歯が悪いと「先に歯医者に行きなさい」と帰されるだとか、歯並びの悪い生徒がいると、他の生徒の親から「学校の品位が下がる」と苦情が入るだとか。
こういった話には多少誇張があったろう。しかし大人になったいま、「母は正しかった」とつくづく思う。
大阪四季劇場のそばを歩いていて『マンマ・ミーア!』のポスターを見かけるたび、私はヒロインのすばらしい歯並びに釘付けになる。
アメリカ人にとって口元は育ちや教養の表れ。歯並びが整っていなかったり歯が健康でなかったりすると、教育レベルが低い、自己管理ができないとみなされるため、肥満している人と同様に就職や結婚に不利なのだという。
だから、あちらの子どもは矯正するのが当たり前。故ケネディ大統領夫人ジャクリーンの両親は彼女が子どもの頃に離婚したが、父親が支払うことになった養育費の中には「歯列矯正費」の項目があった……というのは有名な話である。かの国の人たちがいかに歯を美しく健康に保つことに高い意識を持っているかがうかがえる。
このあたり、日本とはかなり違う。よほどガタガタした歯並びをしていない限り、私たちは自分のそれも他人のそれもほとんど気にしない。
最近はどうかわからないが、私が十代の頃は八重歯は「かわいい」とさえ言われていたのだ。松田聖子、河合奈保子、芳本美代子、中山美穂といったアイドルが堂々と八重歯を見せていたし、実際、当時はそれが彼女たちのチャームポイントだった(「石野真子」を思い浮かべたあなた、私の一世代上ですね)。
整った歯並びを身だしなみのひとつと考えるアメリカ人にはとうてい理解できない感覚だろう。あちらでは八重歯は「ドラキュラの歯」と呼ばれ嫌われるだけでなく、歯並びの悪さ、すなわち歯が本来あるべき位置にないことはさまざまな弊害を引き起こす元になるとして、ひとつの病気とみなされているというのだから。
日本人は先進国の中でもっとも歯並びの悪い国民だと言われている。女性がよくやる、笑うときに口元を手で覆う仕草が外国人の目にどのように映っているのかということは……想像したくない。
* * * * *
日本には「歯並びの悪い人は育ちが悪く、教養や自己管理能力に欠ける」という社会通念はないから、この国では「口元を見れば、家庭がわかる」は通用しない。
けれども、「口の中を見れば、知性がわかる」とは言えるのではないだろうか。自分の歯をどう保ってきたか、つまり治療痕の多い少ないでその人の頭のよさが測れる、と私は思う。
八重歯やすきっ歯は不可抗力だし、それに無関心だった親の責任でもあるが、虫歯は本人の管理不行き届きの結果だ。もともと歯が弱くどんなに気をつけてもだめ、という人もいないわけではないだろうが、この世に存在する虫歯の大半は歯をぞんざいに扱ってきたがゆえにできたものと思われる。
年下の友人に一度も虫歯になったことがないという女性がいるが、私はこういう人を尊敬する。大切にすべきものをきちんと理解していて、手入れを怠らなかったということだから。痛みが我慢できなくなるまで歯医者に行くのを先延ばしにする人とどちらが賢いかは比べるまでもない。
先日、「世の中には抜歯が苦手な歯医者さんが少なくなくて、横倒し状態で歯茎に埋もれている親知らずを抜いてほしいとお願いしても、いつも暗に断られてしまう」と日記に書いたところ、友人が「僕が抜いてあげようか」と言ってくれた。彼は某歯科医院の院長先生なのだ。
「親知らずは年がいくほど抜きにくくなるし、時間的、体力的なことを考えてもいまのうちに抜いておいたほうがいいよ」
と言われ、やっぱりなんとかしなくっちゃ……とこぶしを握りしめた私。それなのに、そのありがたい申し出を断ってしまった。
「いますぐ抜かなくてもいいと思いますよ」「まあ、しばらく様子を見ましょう」と言う先生ばかりだ、とこぼしていたくせにどうしてって?
あんぐり口を開けたヘンな顔なんか見せられないワ!というのももちろんあるが、それだけではない。
私は歯並びは文句なしだが、虫歯のほうは母にあれほど言われたにもかかわらず人並みに作ってしまった。「治療痕=不始末の結果=だらしなさ」である。友人にそれを晒すなんてマヌケ面を披露する以上の恥ではないか!
だから、もしこれが捻挫だ、骨折だという話であったなら、私はためらいなく診てもらっていたはずである。
……というような種明かしをするのも恥ずかしく、「ひえええ、む、無理無理!ぜったい無理!」とあたふたと断ったのだけれど、実はこういう理由だったのでした。ちゃんちゃん。