過去ログ一覧前回次回


2005年04月25日(月) 「大丈夫」が口癖のあなたへ

「僕はかなり涙もろいです」というカミングアウトに加え、突然箸を持つ手を止め、ごはんがおいしいと目を潤ませる夫やゲームのエンディングで号泣する恋人を持つ女性からもメールをいただいた。
世の中には私が思うよりもずっと多くの「涙する男」がおられるようだ。

言われてみれば、前回のテキストを書くきっかけになったのは、日記書きの友人から「別れ話を持ちかけながら泣く男」の話を聞いたことだった。
彼女は過去に三度、「ほかに好きな女性ができた」という理由で振られたことがあるそうだが、三人ともが別れてくれと言いながら彼女の前で泣いたという。それも、新しい相手とすでに付き合うところまで話が進んでいながら、である。その記憶が突然よみがえったのだろうか、彼女は「泣くな!泣きたいのはこっちじゃい」とぷりぷりしながら書いていた。
そういえば、何日か前の新聞に載っていた若い女性の人生相談の中にも「浮気が発覚するたびに大泣きして謝る恋人」が登場していたっけ・・・。
「男の涙」は私のまわりには決してありふれたものではなかったけれど、こうして見ると、あるところにはあるんだなあと思えてくる。

世間の意識は「男が人前で泣くのは恥だ」から、「男だって感情表現豊かなほうが人間らしくて好ましい」に変わってきているから、男性もずいぶん感情を表しやすくなったのだろう。
父親が家長だった時代は立場的に子どもの前で涙するわけにはいかなかっただろうが、現代のお父さんにはそれは不可能ではないし、不自然でもない。最近は娘の結婚式で号泣するのは男親のほうだ、なんて話も聞く。「地震、雷、火事、親父」と言われたのはすっかり過去の話だ。
もっとも、いまの父親は威厳を「失った」というより、自ら「手放した」のだと思うけれど。少し前に「友達親子」というテキストを書いたが、家庭内での立ち位置や役割が変化したのは母親だけではない。人々の中の「父親たるもの」もずいぶん変わった。


それでも、メールを読んでいると「いい年してみっともないという気がして」「家族や恋人の前でも照れくさくて」泣けないという男性は少なくないという印象を受けた。
涙を我慢するのはすでに癖になっているから、いまになって泣いてもいいよと言われてもハイ、そうですかとはいかないのかもしれない。
「感情を抑えなくてはならないのはけっこうつらい」と書いておられる方もおり、たしかにそうだろうなと思う。女性にとってなにがなんでも涙を見せるわけにいかないのは仕事場くらいのものだが、そこかしこがそうだとしたら。そのプレッシャーと不便さはかなりのものであるに違いない。

・・・だけれど。そんなふうに踏ん張ってしまう男性が、私は好きだ。
悲しければ泣いたらいいし、苦しいときはつらい顔をしたらいい。愚痴をこぼすのだってありだ。男だからといっていつでも誰の前でも強くあらねばならないなんてことはない。ときにはプライドを捨てて自分をさらけだす勇気を持てる人のほうが実は強いのではないか、とさえ思う。
しかしそれでも、究極までひとりで堪えてしまう人と、そんな人の中から不覚にもこぼれてしまった涙や弱音をたまらなくいとおしく思う私がいる。

もっとも、悲しい思い出もなかったわけではないけれど・・・。
最後の電話で彼が絞りだすように言った「そばにおってほしかった」を思い出すと、十年経ったいまでも胸がきゅっとなる。いざというときは、そのときは、ちゃんと私を頼ってね、を伝えられていなかったんじゃないのかと自分を責めた。
休みが合わないだとか遠距離だとか。週末ごとに会えるふたりでないならば、「寂しい」「会いたい」はどうか隠さず彼女に伝えてあげて。
素直になることは、本当はかっこわるいことでも恥ずかしいことでもちっともないのだから。