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2005年02月14日(月) 思へば遠く来たもんだ

週末、遠方に住む妹夫婦が子どもを連れて実家に泊まりに来ていると聞いて、帰省していたひとり暮らしの友人。
彼女の姪は幼稚園に通う女の子。かわいいんだろうねと言ったら、「子どもにはかなわんわ」と苦笑する。
一緒にお風呂に入りたいと騒ぐので連れて入ったところ、夕食の席で「おばちゃんのほうがママよりおっぱい大きかったー」と“報告”されてしまったらしい。しばらく義弟の顔を見られなかったそうだ。
それでも、子どもは正直が取り得なんだからしかたがないわとなんとか気を取り直したら、今度は真顔でこう言われた。

「おばちゃんはどうして結婚しないの。ひとりで寂しくないの」

これが五歳の女の子がする質問か、と彼女は唖然としたというが、私も驚いた。その年で結婚していないと寂しいとか寂しくないとか、そういう感覚を持っているというのか。なんてませているんだ。

・・・とショックを受けてみたものの。
小さな子どもを持つ方の日記を読んでいると、「このくらいになるとこんなナマを言うようになるのか」とびっくりしたり感心したりすることがしばしばある。子どもというのは私が思っているよりもずっと早熟らしいのだ。それに、考えてみれば自分にも覚えがある。
あれは小学一年のときのこと。日直のソウマ君と放課後の教室でふたりになったとき、私は彼に言ったのだ。

「やっとふたりっきりになれたね」

私はたしかにこう言った。それ以前にソウマ君と気持ちを確かめ合ったことなどなかったと思うのだが、私はそんなに自信があったのだろうか・・・。
こんなこっぱずかしいセリフを口にしたのは、後にも先にもこのときだけだ(たぶん)。

どうして二十五年以上も昔のことを覚えているかというと、そのときの彼の顔がものすごく印象的だったからだ。「鳩が豆鉄砲を食う」という言葉を六歳の私が知っていたはずはないが、いま思えばこの表現がぴったりだ。
女の子のほうがおませだと言われるけれど、あのソウマ君の表情を思い浮かべ、私は大いに納得する。そして、この頃にはすでに自分の中に「好きな男の子に気持ちを伝える」という萌芽が存在していたことを知るのである。


友人と話していて少しばかり驚くのは、自分から好きだと言った経験はないという女性が少なくないことだ。私は堪え性がないので、気持ちを胸のうちに留めておくことができない。
初めて告白したのは中学二年のバレンタインデーだ。見事玉砕したが、懲りることなく、その後も好きになった人には気持ちを伝えてきた。過去の恋のうち半分はこちらから、である。

しかし先日、かれこれ一年近くもぐずぐずしている友人に「私たちみたいな平凡な女は自分から行かなきゃだめなのっ。待つだけ時間の無駄!」と発破をかけたところ、「わかってるけど、この年になっての失恋はつらいもんがある・・・」と返ってきて、不覚にも深く頷いてしまった。
恋愛の基礎体力がなくなったとでもいうのか、このところすっかり打たれ弱くなった感がある。ちょっとしたことが心に堪え、へこたれてしまいそうになる。なにかあったとき、立ち上がるのに時間がかかるようになった。
若い頃、タフでいられたのは「永遠」とか「絶対」とかいうものの存在を信じることができていたからだろう。あの天真爛漫な私はいったいどこへ行ってしまったのか。

こんなこと、昔は考えたことなかったなあ・・・。そう思ったら、ある詩を思い出した。

頑是ない歌

思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気(ゆげ)は今いづこ

雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然(しようぜん)として身をすくめ
月はその時空にゐた

それから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜(よる)の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我(が)ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ

考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやつてはゆくのでせう

考へてみれば簡単だ
畢竟(ひつきやう)意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ

*竦然(しょうぜん):恐れてぞっとするさま。
*畢竟(ひっきょう):つまり。結局。


(中原中也「在りし日の歌」より)


初恋から二十年。思えば遠くへ来たもんだ・・・。