前回の日記の追記です。mixiに興味のない方、今日までご辛抱を。
「誰か私を招待してえー」と大騒ぎした甲斐あって、招待状をちょうだいすることができました。送ってくださった方、本当にありがとうございました。
で、さっそく登録。プロフィールの欄を埋めるべくモニターとにらめっこする私であるが、これがなかなか手ごわい。実生活では「私はこういう者です」と自分を誰かに紹介する機会などまるでないため、ちっとも書くことが浮かばないのだ。
そういえばうちのサイトにはプロフィールがなかったな、とふと思う。そのため、名前を間違えられることがときどきある。
このあいだ、あるサイトがリンクを張ってくれていたのだけれど、その中で私は「小春さん」になっていた。「小春」もとってもかわいいけれど、私は「小町」なんですよと言うと、その方はずいぶん慌てておられた。
初めましての方からのメールで「Komachiさん」と呼びかけられることもあるし(タイトル下の「Presented by 〜」からとっていると思われる)、プロフィールを置かないのは読み手には優しくないかもしれない。たしかに初めての日記を訪ね、書き手の年齢や居住地に興味を持ったとき、それがないとちょっぴり残念だものな。
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ところで、昨日mixi関連のサイトをめぐっていたら、びっくりするような記事を見つけた。「mixi依存症」の二十六歳の女性を取り上げたものだ(こちら)。
「日記を書いてから五分以上レスが付かないとそわそわします。病気かもしれません」
私のまわりにも「仕事や家庭生活に支障をきたしていそうだなあ」とお見受けする日記書きさんは何人もいるが、そこまでの話は聞いたことがない。私自身、成田空港で乗り継ぎ待ちの十二時間をラウンジでネットをして潰したこともあるほどのジャンキーだけれど、こんなことはまったくない。
「日記にレスがついていないか、ページに誰かが訪問していないかが一日中気になって、会社では上司の目を盗んで何度もアクセス、旅先にもパソコンを持っていかずにいられない」
これはネットに限らず、たとえば恋愛にも言えることだが、突出したものがあるばかりに日常生活から物事の優先順位が失われてしまっている状態、すなわちなにかに溺れている姿というのは傍目にかなり痛々しい。
とは言うものの。
さすがに「五分レスがつかないと・・・」というのは極端だけれど、彼女が特別というわけでもないだろう。深夜の日記書きで目の下にくまを作ったとき、あるいは「ごはんできたよ」と声をかけても夫がチャットをなかなかやめようとしないとき、ネットほど「ほどほど」がむずかしいことはない、と私はつくづく思うのだ。
この世界を知ったのが人生の方向がある程度決まったあとのことで本当によかった。もし中高生の頃にこれに出会っていたら、帰宅部になっていたかもしれないし、勉強にも身が入らなかっただろう。大学時代だったら、恋もせず寸暇を惜しんでキーボードを叩いていたのではないか(・・・それはないか)。
ネットの中毒性を思うとき、私は「セーフ」と胸をなでおろす。
そうは言いながらも、今回は(心を入れ替えて)機能を理解し、プロフィールもちゃんと書いて、ちょっとまじめにやってみるつもりだ。
登録したばかりで検索にかけても私のページはまだ出てこないようですが、mixiのアカウントをお持ちの方は今度のぞきに来てね。