2004年11月03日(水) |
窮屈に暮らすつもりはないけれど(前編) |
「同じ釜の飯を食った仲間」という表現があるように、食のシーンを共有することで人と人のあいだに育つものはとても大きい。だからだろう、私は誰かに興味を持つと、ものすごく素直に切実に「ああ、この人とごはんが食べたいなあ」と思う。
実はいま、同僚の中にそういう人がいる。業務の合い間に軽口を叩き合うだけでなく、もっと親しくなりたいなあとこちらはひそかに思っている------五つ年上の、さばさばした気持ちのよい女性だ。
そんなわけで、私は半年も前から彼女に「帰りにごはん食べてこー」と声を掛けたくてうずうずしているのであるが、ずっと実行に移すことができずにいる。
女性相手に「断られたらどうしよう」なんて怖じ気づくわけがない。ではなぜか。彼女は口にできる食べ物が非常に限られている人だからである。
土産のまんじゅうが配られたり、営業の男性が帰社途中にシュークリームを買ってきてくれたりすることがよくあるのだが、彼女は一切手を出さない。
ダイエット中でもなければ、アレルギー持ちでもない。甘いものが苦手というわけでもないのに、いったいどうして?
食品添加物や化学調味料といったものにかなり神経質なのである。そのため、彼女は外食をまったくしないし、市販の弁当や惣菜、パンも食べない。
少し前に上期を終えての慰労会があったのだが、派遣社員のほとんどはそういった飲み会には出席しない。そんな私たちのために後日、缶ジュースと子どもが遠足に持って行くようなスナック菓子の詰め合わせが支給されたのであるが、彼女は私に「もらってちょうだい」と言う。
小学生の娘さんに持って帰ってあげたら?と言うと、首を振りつつ菓子袋の裏の成分表示を指差した。原材料の欄には「キサタンガム」「ソルビトール」「二酸化チタン」といった、いかにもな名称がずらずらと並んでいた。
「こんなもん食べさせられへん。癌になるわ」
いまいましそうに言いながら、それを笑顔で私に差し出す彼女。「ちょっとォ、それって私のからだはどうなってもいいってこと!?」と一応つっこんでおいたが、増粘剤、膨張剤、強化剤、乳化剤、光沢剤、着色料、着香料……と列記されているのを見ると、彼女でなくてもぞっとする。
そういえば、料理番組でもおなじみの服部栄養専門学校の校長、服部幸應さんが「日本人は年間三キロの食品添加物を摂取している」と言っていたっけ。
ダイエット中で口を開けばカロリー、カロリーと言っている女性と食事に行っても、「食べられるもの、ある?」「目の前でこんなの食べたら悪いかな」なんて具合に気を遣ってしまい、気分はいまひとつ盛り上がらない。
あるいは。好き嫌いが激しいうえに自分より小食だったことに嫌気がさし、恋人と別れた友人がいるが、私は「ええっ、そんなことで!?」とは思わなかった。「愛情がなくなると、まず食べ方が鼻につくようになる」と言うけれど、逆のパターンがあってもちっとも不思議ではない。
食のシーンを楽しく共有できる、すなわち文字通りの意味で相手が同じ釜の飯を「おいしく」食える人であるということは、誰かと親しくなりたい、長く付き合っていきたいと考えたとき、決して馬鹿にできない項目なのである。
そんなわけで、彼女を食事に誘えないことを、私はとてもとても残念に思っているのだ。 (後編につづく)
【あとがき】 先日、食事の約束をしていた友人と会ったんですね。で、なに食べに行く?と訊いたら、彼女は間髪入れず「そば!」と言いました。ええええ、なにが悲しくて金曜の夜にそば屋なわけえー?と渋ったら、「ダイエットをはじめたから」と。しかたなく定食屋みたいなところに入りましたよ、だってサラダしか食べない人の前でひとりでもりもりごはん食べてもつまらないもの。 ところで、ダイエット中の人がよく人が食べているものを見て「それ一切れで○キロカロリーくらいだな」とか「水泳30分分食べたね」とか言うじゃないですか。あれはちょっとイヤですね。
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