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2004年11月01日(月) 女たるもの……

酒井順子さんのエッセイの中に、最近生まれて初めてコンビニ弁当を食べたという話があった。
長いあいだ、コンビニ弁当だけは買わない、食べないと心に誓って生きてきたという。できあいの惣菜を買うことに罪悪感を感じる世代より下であるとはいえ、やはり「女たるもの、手を出してはならない」ような気がしていたのである。
しかし仕事が立て込んでいたある夜、禁を犯してしまう。「いい年をした独身女が金曜の夜にコンビニ弁当を買っている」という図が恥ずかしくて後ろめたくてレジではおどおど、人目を気にして慌てて帰った……という内容だった。
ふふ、それわかるなあ、と忍び笑いが漏れる。
といっても、私はコンビニ弁当が好きでないし、最後に食べたのももう何年も前の話である。店頭で温めてもらい、家に持ち帰った私は蓋を取ってぎょっとした。揚げ物用のソースの小袋が白いごはんの上で溶けていたのだ。業務用の電子レンジはものすごく強力だから熱に耐えられなかったのであろうが、それを見た瞬間、頭の中に「環境ホルモン」という単語が浮かんだ。以来、私は冷凍しておいたパックの肉を解凍するときは必ず皿に移し、ラップを取り替えるようになった。
そうそう、こんな失敗をしたことがある。カップ麺を作ろうと思ったのだが、あの発泡スチロールの容器に熱湯を注ぐのはためらわれた。いかにも何かが溶けだしてきそうではないか。そこで、私は麺と具をラーメン鉢に移し変えた。三分後、麺はまったくもどっていなかった。
世界初のカップ麺「カップヌードル」の生みの親である日清食品の創業者、安藤百福さんが湯が冷めにくい“保温性”と手に持っても熱くない“断熱性”を兼ね備えた容器の開発には大変苦労したと語っておられたのを、このとき思い出したのだった。

おっと、話がそれてしまった。
で、コンビニ弁当を買わない私がどうして酒井さんの気持ちがわかるのかというと、街の弁当屋でホカホカ弁当を買っていた頃のことを思い出したからである。当時の私の中にも「女たるもの……」は存在し、それは“ホカ弁”にもばっちり適用された。
大学のそばでひとり暮らしをしていた学生時代のこと。彼が家に来るとなると嬉々としてあれこれ作るくせに、自分ひとりの食事のために手間をかける気にはまるでならなかった私は、マンションから三十秒のところにあった「かまどや」にしばしばお世話になった。
しかし、ひとつ問題があった。その店の前にはバス停がある。運が悪いと、弁当ができあがるのを待っているあいだにバスから学生がどっと降りてくるのである。
こんな私にも「結婚早そう」「いい奥さんになりそう」と言われた時代があったのだ(コラそこ、ここは驚く箇所ではない)。そんなところで知り合いに出くわすほどバツの悪いことはない。会釈などされようものなら駆け寄って、「いやー、まいっちゃった、ごはん炊こうと思ったらお米が切れてて」なんて言い訳したくなったものである。
よって、「いまからお揚げしますので少々お待ちください」の五分間がどれほど長く感じられたことか。揚げ待ち嫌さに大好きなカラアゲ弁当を断ち、意に染まぬシャケ弁当ばかり頼んでいた時期さえあるほどだ。

コンビニ弁当にはこれほどの羞恥を感じる酒井さんだが、吉野家や立ち食いそば屋に出入りするのは平気だそうだ。しかし、私はそれらもだめだった。
無性に牛丼が食べたくなってテイクアウトすることはたまにあったが、私はそのたび「彼に頼まれて買いに来たんです」という顔をつくった。どぎまぎしていることを店員や他の客に悟られると、恥ずかしさは倍になる。一刻も早くここから立ち去りたいと思っていることなどおくびにも出さず、悠然と注文した(つもり)。
十代から二十代にかけての、自意識が服を着て歩いているような年頃ゆえの小細工である。
と言いたいところだけれど……。
先日、突然おでんが食べたくてたまらなくなった。夫は出張で明日まで帰らないが、「おでんは二日目がおいしいのよ」とうそぶき、スーパーへ。しかし、一本五百円の大根を見て断念。
その帰り道、コンビニの前を通ったら、「おでん」と書かれたのぼりを見つけた。コンビニのそれはいかにも煮込みが浅そうで、おいしそうだと思ったことは一度もない。が、このときばかりは気がついたら玉子やじゃがいもなどあれこれピックアップしていた。
うわ、これじゃまるで大食らい……とどきっとしたそのとき、レジの男の子から声がかかった。
「お箸は何本おつけしますか?」
「二本ください」
すまして答えた後、愕然とする。私ってばあの頃とぜんぜん変わってないじゃないのー!

【あとがき】
実家の母ができあいの惣菜を買う人ではなかったんですね。お菓子もよく手作りしてくれました。「家で作ったものが一番おいしい」と思って育ったからでしょう、私はスーパーとかデパ地下で買ってきた惣菜を罪悪感(手抜きしちゃった……)なしに食卓に並べることができないのです。