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2004年11月05日(金) 窮屈に暮らすつもりはないけれど(後編)

……という話を(前編)、先日友人四人と会った際にしたところ、予想外の反応が返ってきた。同僚の女性ほどではないとはいえ、友人たちも食品の安全性にはかなり神経を遣っていることがわかったのである。
そういうことに特別関心を持っているようには見えなかったので、少しばかり驚いた。
「子どもがおったら、やっぱり気になるで」
そう言いながら、彼女たちは「食品添加物や化学調味料以外にも日頃から不気味だと感じ、警戒しているものはある」として遺伝子組み換え食品、野菜や果物の残留農薬などを挙げた。
なかでもとりわけ悪評だったのは中国産の食品だ。どんこ(椎茸)は信じられないような安さだし、うなぎの蒲焼も国産の半分くらいの値段だけれど怖くて買えない、あの国のものは信用できない、と口を揃えて言う。
ひとりはメーカーに問い合わせたこともあるという。スーパーの特売で野菜ジュースがふだんの半額になっていたので手を伸ばしかけたが、「中国産の野菜を使っているのでは?」と気になり、お客様相談窓口に電話をかけた。回答を聞いて、買うのをやめたそうだ。

数日前の日記に「環境ホルモンが気になって、カップ麺の中身をラーメン鉢に移して湯をかけたら三分後、麺はまったくもどっていなかった」という話を書いたが、私もまた食品の安全性に無関心、無頓着でいられるほうではない。
三年前に国内でBSE感染牛が見つかったとき、「いちいち気にしてたら生きてけないよ」派と「しばらく牛肉はやめておこう」派に分かれたが、私は後者である。
たとえば、化学調味料は極力使わない。最近、新聞の投書欄に主婦歴一年の若い女性が書いた、こんな文章が載っていた。
「結婚するとき、味噌汁のだしは手を抜かず昆布やかつお節からとると心に決め、守り通してきた。が、先日夕飯の支度が遅くなったためやむを得ずインスタントのだしを使ったら、一口飲んだ夫は『今日の味噌汁はいままでの中で一番おいしいなあ』と言った」
私にもまるで同じ経験がある!と笑ってしまったのだけれど、そのほうがおいしいと言われようと、だしの素は煮物の味が決まらないとき以外、出番はつくらない。
味の素やハイミーにいたってはわが家のキッチンには存在すらしない。あの白い結晶は私に「薬」を連想させる。事実ではないだろうが、実家の母が「味の素は石油からできている」と言っていたのをいまだに覚えていて、レシピの「味の素、少々」はいつも飛ばす。
中国産の野菜や魚介はやはり買わない。それらから「安全基準値を超える○○が検出された」という記事をいったい何度目にしたことだろう。
ちょうど二年前、私の会社が全国のお得意様宛てに松茸を贈った直後に、中国産の松茸から殺鼠剤が検出されたことがあった。それから三日間は問い合わせの電話が鳴り止まず、仕事そっちのけで「検疫をパスしていますので心配ありません」を繰り返したことを思い出す。
アメリカ産の柑橘類もしかり。プライスカードの「このグレープフルーツには防カビ剤のOPPを使用しています」の文句を見たら、カゴに入れる気にはとてもなれない。そういえばアメリカンチェリーも長いこと食べていないなあ。
私はスナック菓子が好きだし、ときにはハンバーガーも食べる。友人と外で食事をする機会も多い。食品添加物の年間摂取量を三キロから二・九キロにするために、そういった楽しみを制限しようとは思わない。
しかし、ふつうに生活していく中で「これは気持ちが悪いな」と感じたもの、ことははねていく。無着色タラコを選ぶ、カップ麺は家に置かない、冷凍肉をレンジで解凍するときはパックから皿に移すといったことは、私にとって暮らしを窮屈にすることでもなんでもない。

マーブルチョコのパッケージには、おおよそ自然界には存在しない色がひしめきあっていた。
「やっぱりやめといたほうがええわ。これから子ども産むかもしれん人は」
そう言って同僚はスナック菓子の詰め合わせを私の手からもぎ取り、自分のバッグに放り込んだ。

【あとがき】
厚生労働省の調査では「日本人は一日に約10g、年間約4kgの食品添加物を摂取している」とのこと。ふつうに暮らしていく中で私たちはもう十二分に、からだによくないものを取り込んでいるのですね。「焼け石に水」に見えても、そういうことを少しでも気にかけている人とまったく無頓着でいる人とでは、一生という単位で見ればずいぶん違ってくると思うのです。