誰かの書いたものを読みながら、「ああ、この人らしいな」と思うことがある。
といってもたいていの場合、私は作家であったり日記書きであったりするその人と会ったことも話したこともないので、私の中にあるイメージと合致するという意味なのだけれど。
最近も渡辺淳一さんのエッセイの中のあるくだりを読み、このフレーズが口をついて出た。
柔道やプロレス、相撲などの格闘技をやっている女性の姿は醜くてグロテスクである。女がやっては魅力がまったくないというスポーツは他にもいろいろあって、女子の砲丸投げや走り幅跳び、槍投げ、マラソンからゴルフ、野球といったものまでみな似合わない。
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渡辺さんは男と女の関係を耽美的な筆遣いで書くことを得意とする作家である。また噂になった女性を思い浮かべても、この発言には頷けるものがあるではないか。
私自身はヤワラちゃんにも高橋尚子さんにも感動するが、そういう耽美主義的なところは私が渡辺さんに男の色気を感じる部分のひとつである。
しかしそれにしても、思い切ったことを書くものだ。「女性が睨み合ったり、歯を食いしばったり、汗だらけになっている姿には美しさのかけらもない」なんて書いて、読者から抗議の手紙が殺到しなかったのだろうか。
批判を受けやすい、あるいは冷静に読んでもらえず曲解されやすい文章というのはたしかにある。
私の印象では女性のあり方、生き方をテーマに書いたものは一部の読み手、とくに女性を感情的にする。これに「結婚」「子ども」といった要素が絡むと、ときに彼女たちをヒステリックにさえしてしまう。
渡辺淳一さんの別のエッセイに、こんな話があった。
働く女性に月経困難症や子宮内膜症といった病気が増えているのは、女性が子どもを生まなくなったことと関係があると考えられている。いまのところこれといった治療法がないが、経産婦にはこの種の症状を訴える女性が少ないこと、これに悩んでいた女性が出産によって治った例が多いことから、産婦人科医の中には「子どもを生むのが最良の治療法」と言う人もいる。 女性の体は本来、妊娠し、出産するようにつくられている。シングルの女性が増え、子どもを生まないことは自然のあり方に逆らっている、と言えなくもない。文化や生活習慣は時代につれて変わっても、人間の体そのものはそう簡単には変わらないのだ。
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という主旨の文章を書いたところ、ある雑誌に「女は二十代で出産すべし。渡辺淳一氏のエッセイに大波紋」という見出しで、未婚の女性を切り捨てんばかりの内容であったかのような記事を書かれたのだそうだ。
出産するのが望ましいとは読み取れても、「二十代のうちに」「出産すべし」などとは一言も言っていないと憤慨、釈明のために筆をとらざるを得なかったという。
また、林真理子さんが夫婦別姓について、「それは働く女性たちのやむにやまれぬ要求から出てきたものだと思っていたが、専業主婦の女性たちも夫とは違う姓を持つことを望んでいるらしい。『主婦』にどうして夫婦別姓が必要なのか、私にはわからない」と書いたら、非難の声がどっさり届いた。新聞のコラムに「電鉄会社は禁ガキ車をつくるべきだ」と書いた内館牧子さんのもとには、「あなたは思いやりのない可哀相な女ですね」という内容の電話や手紙が殺到したという。
そして、同じ現象はweb日記の世界でも見られる。「前回の日記には多くのご意見をいただきました」と言って内容を補足、あるいは釈明するテキストが後日アップされているのをしばしば見かけるが、原文はその手のテーマについて書かれたものである場合が多い。
ほかの話題なら書き手と考えが違っていても読み流せるが、「女は○○である」「女性は△△すべきだ」といった文章にはキーを叩かずにいられなくさせるものがあるようだ。
私がつねづね面白いなあと思っているのは、いただいた感想を読むと、既婚女性と未婚女性、あるいは子どものいる女性といない女性の間に顕著な反応の違いが見られることである。この差は男女間のそれよりも大きいように感じる。
ある男性日記書きさんが「人間的成熟という観点からも、状況が許すのであれば女性は子どもを生むのが望ましいと思う」と書いたところ大変な反響があり、子どものいる女性には賛同されたが、未婚、あるいは子どもがいない女性からは猛反発を受けたという。
こういう傾向が存在することは女性や子どもをテーマに書くたび、私も実感している。もっともわかりやすかったのが、「『禁ガキ車』と大人の領分」というテキストへの反応。「同感です」と「あなたは冷たい」にぱきっと分かれたが、後者は見事にすべて子どものいる方からのものであった。たしかに私には「子どものいる風景」を知らぬがゆえの鈍さ、無情さがあるのだろう。
一般論として書いたことにまるで個人攻撃を受けたかのようなヒステリックな反応をされると辟易するが、いただいた意見を対比させ、「立場の違いでこんなに考えが分かれるんだなあ」なんて発見ができるのは日記書きの醍醐味のひとつである。
※参照過去ログ 2003年1月8日付 「『禁ガキ車』と大人の領分」