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2003年06月12日(木) 記念日のある人生

先日、休憩室で仲良しの同僚五人で雑談をしていたときのこと。紅一点ならぬ、黒一点のA君が「実は今日は僕にとって特別な日なんです」と言いだした。
「へえ、誕生日?」
「いや、違います」
カレンダーを穴が開くほど眺めてみても、なんの変哲もない平日である。彼は二十一歳フリーター。結婚記念日などではもちろんないし、ボーナスの支給があるわけでもない。女四人、頭をひねるが何も浮かばない。降参したら、彼はいつになく真剣な顔をして言った。
「彼女と初めてデートしたのが三年前の今日。天保山の海遊館、行ったんです」
とたんに漂う白けた空気。しばしの沈黙のあと、ひとりがおもむろに口を開いた。
「まさかと思うけど、その手の記念日、他にもいろいろあるとか言わないでしょうね」
「僕、そういうの忘れないほうなんです」
それを聞き、他のふたりも声をあげる。
「あんた、いちいちそんなこと覚えてんの!」
「しかもその彼女って二ヶ月前にあんたを振った子のことやろ。未練がましい!」
年上の既婚女性たちに「男のくせに」だの「女々しい」だのと罵られ、A君はすっかりしょげてしまった。とはいえ、そこは転んでもタダでは起きない……じゃなくて、転ぶにもタダでは転ばない彼。「僕が間違ってました。とっくに現役を退いて隠居生活を送っている人たちに恋愛話をするなんて」と憎まれ口を忘れない。
私はそのやりとりを聞きながら、懐かしいような寂しいような気持ちに包まれていた。

最近読んだ檀ふみさんのエッセイの中にこんなくだりがあった。あるとき、知人の男性が彼女にぼやいた。「なぜ神は女にロマンティックを求めてやまない心と抜群の記憶力、このふたつを同時に与えたもうたのか」と。
家に帰ると、テーブルにはバラの花。めずらしく口紅などを塗った妻が意味ありげに微笑んでいる。彼の鼓動は恐怖と緊張で急激に早まる。

(今日は、妻の誕生日だったか)(イヤ、違う)(では、結婚記念日か)(有り難い、それでもない)(バレンタインデーでも、クリスマスでもない)
 では何の日かと恐る恐る妻を見ると、妻は不満そうに、「覚えてないのぉ?」と言う。
「ダーリン、今日はあなたがプロポーズしてくれた日じゃないの」
 初めて会った日、初めてデートした日、初めて……、記念日は数限りなくあるらしい。それがオトコの悩みのタネなのだそうだ。  
(阿川佐和子・檀ふみ 『ああ言えばこう嫁行く』所収「アララ記念日?」)


たしかにA君のように、こまごまとした恋人との記念日を覚えている男性はめずらしい。過去にお付き合いした人を思い出してみても、そういう人はひとりもいなかった。
とはいうものの、それを「男性だから」と決めつけてしまうのは正しくない気もする。先の同僚三人を含め、私のまわりには記念日をいっさい持たない女性が少なくないからだ。
私には「初めて○○した日」というのがたくさんある。とくに十代から二十代にかけ、大人の女への階段を一歩ずつのぼるたび、記念日は増えていった。初潮を迎えた日も、ファーストキスをした日も、初めてそういうことをした日も、すべて私の胸の中にある。
友人たちはこんな私を「アニバ女」と言ってバカにするが、私に言わせれば、そういう素敵な出来事が自分の人生においていつ起こったかということに無頓着でいられるほうが驚きなのだ。
こんなことを言うと、「誕生日やクリスマスはさぞかし派手にやりたがるのだろう」と思われそうだが、そんなことはない。恋をしているとき、私がもっとも強い思い入れを抱くのはそのどちらでもない。その人と初めて出会った日、なのだ。ふたりがめぐりあえたのは、数えきれないほどたくさんの偶然が重なっての結果。「生まれてきてくれてありがとう」よりも、その“奇蹟”とも呼べそうなほどの、幸運の絶妙な組み合わせに感謝したい気持ちのほうがずっと強い。
その人がこの世に生まれてきただけでなく、ちゃんと私の前に現れて、愛してくれた。たとえ人生を共有できたのがいっときだったとしても、私を見つけてくれたことにお礼が言いたい。
私にとってもっとも記念すべきはやっぱり“出会った日”なのだ。

とくに何かをして祝うわけではない。初めて出会った日からひと月たった、ふた月たった、半年たったよ、ああ、もう一年たったんだね……。当時のことを心の中によみがえらせる、ただそれだけ。
そのとき、その人がまだ隣にいてくれたなら言葉にするし、すでにそこを立ち去っていたなら、元気にしているだろうかと空を見上げてみたりして。命日に故人を偲ぶっていうのはこんな感じなのかなあ……なんて思いながら。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日


懐かしい歌をふと思い出す。記念日の多い人生を、私は生きたい。

【あとがき】
だから、出会った日をいつしか思い出さなくなった自分に気づいたとき、私ははじめて「ああ、卒業できたんだ」と知ることができるのです。