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さて、2日連続で「不純愛」の女と男をイラスト図解してきましたが、 要するに俺は、一昨年からの「純愛ブーム」がとても腹立たしいのです。
勘違いしてはいけません。 「純愛」そのものにではなく、「ブーム」に腹が立っているのです。 純愛を「ブーム化」する奴等と、「ブームだから」純愛する奴等にです。
「純愛」をブームにしている下地には、 今のご時世で色恋の基本は「不純愛」だとする流れがあるに間違いない。 でなければ、殊更「純愛」をブーム化する必要は無い。
「純愛、純愛、」と謳う世の俗メディアにとって、 本当のイケてるオトコとオンナは、やはり下記のような奴らなのだ。
こういう男女が跋扈する世の中だから、「純愛」がブームになり、ニュースになる。
何がブームだ!ブームにするな! 純愛なんてブームでするもんじゃねぇ!
それしか出来ねえ奴の身にもなってみろ!
そもそも「純愛」なんて言葉は、恋愛をゲームとしか考えてない奴が使う言葉だ。 カケヒキだけめっぽう上手く、愛については殆ど無知な奴らが、 「純愛」って響きだけで、何だか崇高だと勘違いして使っているだけだ。
彼等彼女等にとって「純愛」とは、 もっと一層ドキドキしたいだけの恋を求めるドラッグである。 つまり、そいつらにとっては、
「純愛」=「純トロ」。 (「純トロ」・・・純度の高いトルエン)
「身も心もすり切れるほどのドキドキが欲しいっ! ブームだし、ちょっと危ないけど、今度の恋は 《純トロ》吸いながら恋愛してみようかなっ!」
・・・みたいな。
アホか。
昨年ブームで純トロやったキミ達は、今年はこれまで通り、 フタマタ・ミマタ、不倫に浮気、フットワークよくサクサクッと乗り換えながらも、 ルックス学歴財産スペック名簿揃えて損得勘定だろーが。
・・・まあ、それはそれでいい。
ただ結局、彼らが昨年していたつもりの「純愛」は、結局「愛」じゃない。 一途に相手を好きになれば「純」だと思っているが、それは云うなら「純恋」だ。
恋は一方通行でも別によい。テレビと同じだ。放っていればそれだけで恋。 相手の気持ちが分かろうが分かるまいが自分が想いさえすれば、それは恋。 「すきすきすき大好きなの〜あなた一人だけが好きなのぉ〜」×複数×毎日 でもよいのだ。
でも、愛は「双方向」だ。 インタラクティブ・マルチメディア・プレイなのだ。 双方向である以上、「純愛」は、複数でなく一人だけを想うのは当然。 自分から見ても相手から見ても、「純」である愛が「純愛」…… ……ていうか、別に「純」をつける必要もないと思うんだが。普通だよ、普通。
要は、 恋だけがしたくて愛は重すぎる奴、愛はしたいが自分も大事で深く専念できない奴、 自分を投げ打ってまで愛に尽くしきって自分を見失う奴、と人間は様々である。 純と不純、どちらが正解か、どちらが善か、という議論はナンセンスで、 そんなことを云いたいのではない。
純愛なんて聞こえはいいが結局、 純愛=不器用な奴がする恋愛 と世間は云ってるように聞こえる。
不器用君は叫ぶだろう。
器用にウマイ事したくたって、 それしか出来ないんだ! 何が純愛だ!純も不純も無い!
だから、 それを安易にブームとして煽る奴らがいて、本当は違う価値観の奴らが、 ナンチャッテ純愛プレイを一時の興味で愉しむ姿に違和感を感じる。
【結論】
恋したいだけの奴が純愛のママゴトをするな! 正々堂々お前等の王道を行け! メディアは「純愛ブーム」などと云って、 不器用な奴の恋愛を興味本位に謳うな!
不器用な奴らは奴らで、 器用な生き方が出来る彼等彼女等を うらやましいと思っているのです。
もっと器用に生きよう、2005年・・・
05 01 20 t a i c h i
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AIR〜the pulp essay〜_ハラタイチ
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