マダムマムアンの静かなる日々...まだむまむあん

 

 

そもそもの始まり - 2006年08月20日(日)

自分の病気の、いちばん最初のキッカケは「妊娠」だった。
マタニティブルーというやつで、それ自体はごく普通の症状だったように思う。
ちょっとしたことで怒ったり泣いたり、被害妄想にかられたり・・・。
自分で感情をコントロールできないことにも苛立った。

出産後、SOHOの仕事を始めたので、そっちに気を取られた。
「生まれたんだから、症状も治まったんだな〜。」と思った。
仕事が軌道に乗って何年かして、少し大きなプロジェクトに参加することになった。
いつも自分がやっている仕事とは違う「立場」を任された。
というのは名目上のことで、チーム内ではこれでも最年少の部類だったため、
結局は「パシリ」的なことも多く、それがとてもイヤだった。

会社なら我慢できるし、するべきなんだろうけど、会社じゃなかったもん。
チームは、みな「独立したSOHOの皆さん」で成り立っていたのだ。
起業家集団、当時は雨後の筍のごとく次から次へと生まれていたNPOのひとつ。
私も含め、それぞれが一国一城の主。
個人事業主だったり、小さいながらも会社の社長だったり・・・。

まあ、そんな環境で半年ほど頑張っちゃったわけです。
それがマズかったらしい。
「あなたならできる、まかせるわよ。」と美味しいことを言われて、それから
手の平を返すように、大勢の前でボロクソに攻撃されました。

思い返すと、今でもそのリーダー的立場にいた女(とも呼べないような代物)に
唾を吐きかけたくなる。
自分が攻撃されただけでなく、プロジェクトのために集めてきた若手のアーティスト達
の作品に対しても、美的センスのかけらもないその女は、酷い扱いをした。
彼女自身はモノ創りについて「ど素人」だったのに、そういう仕事をする者に対しての、
根拠のない侮辱は、とてもとても許せなかった。

そういう姿を見ていた時、なぜか、スーパーで何も問題なさそうな野菜について
延々と難癖をつけるオバサンを連想していた。
つまり、「押しの強さ」と「ワケわかんないパワー」だけはある女だった。
ある意味、リーダーの素質はあるんだろうな、良いか悪いかは別として。
そういうものが欠けている人間、長いモノに巻かれて生きていたい人間、
他者の感性や個性を大切に思うことすら知らない人間は、ついて行くのだろう。
あるいは、そんな女に、ビジネス的な利用価値を認めている人間とかね。

何年か後になって、同じNPOに一時期だけ所属していた方と話す機会があり、
私と同じ目にあった人は他にも沢山いる・・・ということを知った。
さもありなん。
「嫌われ○○子の一生」は、この先、どうなるんだろうね。
もう、私の知ったことではないけど。

そんなこんなで、その女のせいで病気になり始めた。
もちろん、そこで負けた自分も弱かったんだと思う。
私は、人から頼まれたこと・任されたことは、自分の好みにかかわらずマジメに
やるタイプだし、納得がいくまで頑張るほうだ。
それが認められないこともあるだろう、世の中には。
それくらいは理解している。
が、認められないどころか、「え?なんで?」というような、「寝耳に水」的に攻撃
されちゃったのだから、たまらない。

弱い人間もココロの病気になるんだろうけど、頑張る人間、真面目な人間もココロの
病気になる確立が高い・・・ということは、ごく最近になって知った。
知った今では、「そうかぁ。」と思うけれど、知らなかった数年の間、ずっとその女の
名前をネットで見かけるたびに、おぞましい気分を味わわされていた。

問題は、私がSOHOだったということだ。
基本的に、仕事を「ひとり」でやっている。
誰かに相談することもなく、心配かけたくないから家族にも言わず、抱え込んだ状態で
ずっと過ごしていたのが良くなかった。
そうして、病気になった。
さらに、病気だと気づくまで一年くらいかかったのだった。









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