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2007年04月12日(木) 3通目のメール。


メールと言えば携帯メールを連想する人が多いのかも知れないけれど
自分の場合は、あくまでPCに向って書くメール。
携帯メールは外出する時の連絡用くらいしか使わない。
あと、遊びに来た子が帰る時「今出ました」と おうちに入れたり。

PCメールは完全に手紙感覚で使っている。
送る場所は ネット上で知り合いになった人以外は ほぼ100%仕事場となる。
送るこちらはPCからでも 受ける相手は携帯アドと言う事もある。


最近、気付いた事がある。
年代によって、メール会話の閉じ方と言うのが 少々違っているのでは
ないだろうか、と言う事だ。
ただし、これは異性が相手の場合、同性ではそうした事に思いを巡らす
事は余りない。 異性を意識していると言えばそう言う事になるだろうが
同性は、元々あまり肩の張らない人としか やり取りはないのだ。

「最後のメールの返事が来ない」 と言う話を聞く。相手は異性。

「最後のメール」とはどんなメールなのか、詳しく聞いていないので
判らないが、おそらく話が一段落した、礼状的なものではないかと思う。
私はこれを3通目のメールと呼んでいる。

こちらから何か問い合わせる。 相手から答えが返る。 それにをする。
「いやいや、構わないよ」 と言う答えが更に来るかと言うと
来る場合と来ない場合があって、これは世代で 結構違うように思うのだ。

異性として関心があるかないかで違うと言う意見もあるのだが、よほど
出来上がった関係でもなければ メールでは しつこくはしないと考える。
う〜〜ん、私は、そう考える世代と言う事なのかも知れないが。


携帯メールを 大分年齢が行ってしまってから使い始めた世代からは
3通目のメールの返事は ほとんど来ない。
携帯メールが当たり前に通信手段として早くから浸透している世代は
3通目以降の返事が来る。
サンプルは決して多いとは言えないのだけど、経験上はそう思う。

異性として関心があるかと言えば、私は実年齢をカムアウトしている事も
多いので、20代以下には異性としては意識されていないと思う。
相手が目上なので、自分からメールを切ったら失礼と言う意識も
全くないとは言えないのかも知れないけど、文面はあくまでフランクだ。
とにかくメールが身近なのだろうなと言う事をストレートに感じる。

一方同世代人はどうか。 これは判で押したようにメールは3通で
止まってしまうのである。 3通目を読み 頷いて終わり、と言う感じだ。
この頷いた感じは相手に伝わらない事もある。 だからメールが来ない
言う事になってしまうのだと思う。

メールが身近な世代は、頷いた感じを文字で伝えて来る事が出来る。
自分のメールで話が途切れてしまう事にも、さして抵抗もないようだ。

私自身は、メールは3通で切れるのがほっとする。
最後のメールは常に自分である方が安心する。 相手が返して来る限り
こちらも返さないといけない気分になってしまう。
返事が来ない事は 相手も納得していると考え、ほっとする事が何故かある。


3通目のメールはこちらから話題を振った場合。
相手から振られた場合は相手に訊ねられ、答えて、それで終わって
2通のメールになる事もある。

メールは業務連絡を除けば、短時間で賑やかにやり取りされるものもあり
ある程度のペースを守りつつ一定周期でやり取りされるものもある。
3通で終わったメールも、次はまた1通目からと計算する。
そして3通で終わり。
別な世代の人とは、何となく相手の軽い一言で終わり。

忙しい人に勝手にメールを送る時は、返事はいらないと書き添える。
それなら送らなければ良い話だが、それも少し寂しいなと思う時に
送ったりする事もある。

特別返信の必要はないメールの返事は来ないもの、と思って
出しておくのもいいと思う。
届いていれば 頷いているんだろう。

問題は、頷くのではなく 顔をしかめている場合だ。







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