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お前のケツの毛まで毟ってやる。
ドスの効いた太い声に目が覚めた。それが自分の声である事が判るまで少しかかった。 息子は1週間ほど前から隣の部屋で一人寝を始めている。良かった・・・ もしも一緒に寝ていたら「お母さんケツの毛ってなあに?」と聞かれていただろう。 それ以前に、朝から異様な母親の声に 泣いてしまっていたかも知れない。泣き虫だから。
確かに前の日の晩、私は猛烈に怒っていた。誰かと喧嘩をしていた訳ではなく、ただ 腹を立てていただけなのだが。余りにも腹が立つので 家人が寝静まったあと一人延々と ピクミンをやってしまっていたほどだ。
夢は無意識だと言われる。確かに。 自慢にもならないが、私は「嫌な夢」「怖い夢」と言うのを見た事が余り無かった。 正確に言えば そうした夢は朝まで憶えていないと言う事になるのだろうか。 実生活では結構「つらいわ」と思う事も無いではなかったが、或いは夢でバランスを 取っているのかと思われるくらい、夢と言えば呑気なもの、どこか楽しい物であった。 空を飛ぶ夢、平凡な道だが 誰かが必ず待っている事を知っていて歩いて行く夢。 芸能人と結婚する夢。
数年前に、かなり辛い事があって、それから私は夢を見なくなってしまった。 これも正確に言えば 朝まで 見た夢を憶えていられなくなったと言う事になるのだろうか。 勿論、たまには見た夢を憶えているし、夢の途中で目が覚める事もある。 どの夢もどの夢も見事なまでに暗い。 私の行く先に待っている筈の人は必ず居ない。何かをやり始めると必ず失敗する。 恥ずかしくて逃げてもどこを走っているのか判らない。坂はいつも落ちる様に急だ。 そんな夢ばかり見る様になった。 昔は眠っている時の方が幸せ〜などと良く言っていたが(しかもよく寝ていた) 今は起きている時の方がずっといい。夢を見るのは嫌だ。 「ああ、今いいところだったのに〜」なんて目覚めは、もう何年も無い。
そこで「ケツの毛を毟る」夢だ。 私はそう言う言い回しを知ってはいるが、人に使った事は無い。 これは脅しの言葉である。しかも金銭が絡んだ時の。 そして私は正に前日、そうした問題で腹を立て、頭を悩ましていたのである。
夢は合図だ。何の合図かは判らないが。 遠くで私が 私に向かって何かを知らせようとしているのかも知れない。 その声は ほんの小さくしか聞こえない。 こちらの方からも叫び返したいが、それもまた向こうには ほんの小さな声にしか 聞こえないのだろう。
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