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お彼岸であるので、日曜日にはお寺に行った。 お寺は割とご近所で、私の運転でも 難なく行ける場所だ。 一時間後に出発を決めて、各々まったりと時を過ごしていると隣りの部屋から 母の声が聞こえて来た。 「そんな恨めしそうな顔するんじゃないの。ガンちゃん、あんたそれだけ 太ってるんだから 一日一回で、食事は もう十分なんだよ」 どうやら金魚に話し掛けているらしい。
幾ら食べても食べたがるとブツブツ言いながら部屋を出て来た母に代わって 私が 金魚の顔を見に部屋に入る。 「・・・・・・わあっ」 私の大声に息子が飛んで来た。 「ちょっと祖母ちゃん(母)呼んで来なさい。ガンちゃん死んでるって」
今、話し掛けていた金魚が死んでいた事に 母は驚きを隠せない様子だ。 「だって、今こっちを恨めしげに見てた」 だからそれは・・・
恨めしげと言うより、既に恨めしい状態だったガンちゃん。目が合ったと言うより 目は開きっ放しだったんだろう、魚だもん。 ただ死んで直ぐであったためか、逆さになって浮くと言う事はなく、本当にえらが 動いていないので様子が変である事が判る程度。 さあ、どうしよう? 「お墓に埋めるの?」 と息子。う〜ん・・・。
私が物心付いた時から、我が家に 人間以外の生き物が居ない時はなかった。 長屋暮らしの頃から、小さな鳥が何羽かはいつも居て、犬も15年居た。 私が持って来る、カメ、サンショウウオ、カブトムシの幼虫などは大抵不評であったが 何だかんだで小動物は沢山飼っている。長生きする物もあれば早く死ぬ物もある。 小鳥に関して言えば、今では目を見れば 助かるかどうか大体判る。
死んだらお墓を掘って埋める。庭が無かった頃は裏山に登って埋めた。ツルウメモドキが あちこちに生えている、自然が綺麗な裏山だ。とうに無くなってしまったけれど。 今は庭のアジサイやギボウシの根元が彼らの指定席なのである、が。 ・・・雪に埋もれている。
「庭まで行けないよ」と私。今年はとりわけ雪解けが遅い。 「よし、火葬」と母。 埋葬方法の決定は母がする。火葬とはつまり・・・ 「ガンちゃんゴミに出すの??捨てるの??」と息子。もっともな質問だ。 「違うぞ。ガンちゃんは火葬にして貰うんだ。庭に埋めには行けないからね。 雪が溶けたらアイスの棒に『ガンちゃんのお墓』と書いてアジサイの所に立てるんだよ。 いいからホレ、花持って来な」 言われるままに、お寺に持って行く予定の菊をぶっちぎって来る息子。 ご先祖様ご免なさい。
何輪かの菊と一緒に スーパーのゴミ袋に入れられたガンちゃん。大きい。食用みたいだ。 「バイバイ、ガンちゃん」 別れを告げられ、更に大きな生ゴミの袋に移される。
前回の金魚の雄雌分けは、片方の雌側水槽に関しては上手く行った様子だった。 水はほとんど汚れなくなった。雄の方は相変わらず汚れがちだったが生活の汚れかも 知れないし、様子を見ていたところだった。 ガンちゃんは一応、雄側水槽に入れられていた。一番大きく、食も良く、太っていた。
「何で死んじゃったのかなあ」 その夜、私が思わずポツリと言った。 「便秘だったんじゃないの?」と母。確かに、小動物の死因には便秘なんかも多いんである。 金魚は4匹になった。雪が溶けたら、アイスの棒を立てるのを 忘れないように しないといけない。
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