| 2014年03月13日(木) |
Rolling Stone誌インタビュー |
今年は時間の経つのがやけに速い、と先日言ったばかりですが、
東日本大震災からは「まだ3年しか経ってないんだ」という印象です。
たった3年。
映像で観た被災地は、がれきは無くなったけど、ただの更地のままで「街」の姿には戻っておらず
復興なんて全然まだだなー、というのが正直な気持ちです。
何のお手伝いもしていないわたしは、せめてもと福島のお酒(夫用)を買ってきました。
さてさて、ましゃの雑誌露出ラッシュが始まりました。
先週の「週刊文春」に続き、今週は「Rolling Stone」日本版4月号。
表紙も中身のグラビアも、ロックテイストでカッコいいましゃが満載です。
こちら。
今のましゃは、わたしの感覚ではちょっと痩せすぎな気がするのですが、
ロッカーのビジュアルとなるとこのくらいの細さで丁度いいというか、ステキよね。
読みごたえのあるロングインタビューも、お写真以上にカッコいいです。
ましゃのお話を聞くたびに、わたしは自分がいかに世間を知らないかを思い知らされるわけですが、
今回も社会や時代や自分自身を見つめる目の冷静さとその洞察力に敬服。
「離見の見」ってやつですよ、世阿弥の。ましゃもすごく「離見の見」をお持ちだな、と。
ここ最近、この言葉を聞く機会が立て続けにあったのですが、
つい先日は、亀治郎あらため四代目市川猿之助さんが、舞台ではつねに「離見の見」を持ち、
客席から自分の姿がどう見えるかをちゃんと把握しているとおっしゃっていて。
その前には、たまラジにゲストでいらした宇宙飛行士の野口聡一さんのことを、
福 「野口さんは冷静というか、自分自身を客観的にご覧になっておられるんですね。
実像野口さんのまわりに、衛星野口さんが回っているような」と評したところ、
野口さんも「自分が舞っているときに、離れたところから自分の姿を見るようにしなさい、
という世阿弥の『離見の見』について勉強したことがある」とおっしゃっていましたの。
ましゃはその時は「そんな教えが昔からあったんですねー。知りませんでした」などと答えておられたのですが、
言葉はご存知なくともあきらかにそういう視点をお持ちですね。
大成する人には必須なのかもしれん。
わたしなど、言葉は知っていても結局「自分から見える周り」という視点しかないものな。
自分のことはあまり見たくない、という逃げの心理が働いてしまうのかもしれぬ。
いかんね。
「離見の見」、わたしもこれからはちゃんと意識するようがんばります。
ましゃが伝えたい具体的なメッセージについてはアルバムを待つとして、インタビューでの印象的な言葉をいくつか。
「ただ、僕は悲観する必要はないと思っています。
そして、誰かのせいにもしちゃいけないと思っています。
誰かのせいにするぐらいだったら自分が行動を起こすべきですし」
「基本的には、僕は自分のことを弾き語りの人だと思っています。(中略)
最終的なサウンドがバンドサウンドになっていようが、楽器の編成が複雑なものだろうが、
バックのサウンドを全部取り外したときに、弾き語りで演奏できるかどうか? が、
僕の中の曲作りのOKラインなんです」
「僕自身、二十何年間この仕事をやってますけど、もうずいぶん前から
『だいぶ古いな、俺は』って思いながらやっています。
だけど(選手生命が短いことを運命づけられているアスリートなどとは違い)
幸い僕はエンターテインメントの人間なので、新しくはないけど、
精度を増していくこと、質感自体を高めていくことは可能なのではないかと。
それをやっていけば、もうちょっと長持ちするんじゃないかな、
というしがみつき方でやってるんですけどね」
「人が喜ぶ顔を観るのはもちろん大好きなんですけど、
『こうやりましたよ。ほら、うれしいでしょ?』っていうプレゼントの贈り方じゃなくて、
今回は『これをどうしても君に聴いてほしかったんだ!』っていうアルバムを作ったほうが
いいんじゃないかなと思ったんです」
ましゃらしく軽妙で楽しいお話もいっぱいあったので、立ち読みだけでも是非。
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