トーキングFMサイドでは前回に続き、
誉め方叱り方の話をしていたのですが、途中からストレス発散方法のお話に。
今「福山さんは飲んでもそんなに『うえぇーい!』とかならないですよね?」
福「俺は、もともとはそういう人だったの。だけど立場上それができなくなっただけで。
俺、道で寝れないもん。寝てたらアミューズ事務所に迷惑かけるでしょ?
スポンサーさんに迷惑かけるでしょ?」
ス「はっはっはっは! 福山さんの家でもし皆で飲んだとしても、福山さんは
そうはならないと思うんですよ。」
福「そりゃそうだよ。犬だって『ここでう〇こしろ』って言ったらそこでう〇こするように
なるんだよ。道だろうが家だろうが、ちゃんとしたところでう〇こするんだよ、俺は!」
ス「ひゃっはっはっは! 福山さんは『うえぇーーい』ってなるときないのかな? って。」
福「もうなんなくなっちゃった。」
今「そうですか? 不思議だなぁ。(飲んだら)『うえぇーい』ってなりますよねぇ?」
ス「今浪はいつだって『うえぇーい』ってなるじゃない」
福「なんなくなっちゃったよ、もう」
今「なり方忘れちゃったんですか?」
福「そんなすごい寂しい人みたいに。なんかむかつくなぁ。
なんなくて平気だから、なんないんだよ、たぶん。」
今「そうですか。」
福「そういうストレスの発散方法しか持ってないんだったらそうなるけど、俺はそうじゃないんだよ。
俺は、ものすごく精度の高い『うえぇーい』をやってるわけ。
たとえばコンサートであるとか、作品に落とし込むとか。
作品が完成したり、自分の想いが乗った、あるいはそれ以上の、
自分が想像もしていなかった領域での表現ができたときとかは、飲んで『うえぇーい』なんてなるより、
はるかに解放されてるわけ。だから、今浪さんが飲んで『うえぇーい』ってやってるのを見るたびに、
可愛いなとは思うけど、『こいつは作品の質がまだまだ低いな』って思うの。」
今「はっはっはっは! やっぱり、仕事の方を上げていかないとダメだな。」
福「そうだよ。今浪の場合は、飲んで『うえぇーい』の方が(仕事を達成しての『うえぇーい』より)上にいるもの。
だから、面白さを抑えるのが難しいほどの原稿が仕事でばんばん上がってくるようになるとすごいよ。」
(注:今浪さんは放送作家)
さらに、栄転して事業部長になった藤村さんはストレスがいっぱい、という話から、
福「前回も言いましたけど、プレッシャーを楽しめるようになると本当にいいんですけどね。
僕なんかはもう20年もやってきて、もはやヘンタイの領域に入ってきてるんで、
逆にプレッシャーがないと仕事を楽しめない。怖いな、と思うような仕事じゃないと楽しくなんない。」
ス「ほー」
福「イヤだな、とか、この監督怖いな、この作品怖いな、とか、そういうのじゃないと。」
ス「常に、成功してあたりまえ、という目で見られてるわけですからね?」
福「それがまたプレッシャーではあるんだけど、楽しいんだよね。
そういうことがプレッシャーとなって潰れていくタイプじゃなかったんだね。
たぶんどっかで開き直ってるんだよ。ダメならダメでいいや、って。
別に俺がいなくなったっていいでしょ? って、開き直りを。」
最後の「開き直ってる」っていうのは、まさに「人事を尽して天命を待つ」的な意味での
ひらきなおりであって、けっして「投げやり」なひらきなおりではないのは
ましゃのあの凄まじく丁寧で緻密でしつこい(誉めてます)お仕事への取り組み方から明らか。
ましゃのようにプレッシャーを楽しめるようになると、ますます良いお仕事ができるようになるのでしょうね。
そしてひょっとしたら、病気や犯罪の理由に「ストレスがたまって」ということはなくなるのかもしれない。
凡人にはなかなか遠い道のりですが、でもこういう姿勢にはすっごく憧れます。
というか、こうなれたらすごく幸せよね。
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