今日のおたけび または つぶやき

2011年05月24日(火)  児玉清さんと福山雅治さん



77才で亡くなられた児玉清さん。

ドラマや司会など、TVで拝見するどのお姿にも、上品で知的で穏やかで明るいお人柄が

感じられる方でした。なかでも一番印象的だったのは、自分の子どもほどに年齢が離れた役者さんたちへも、

礼儀や敬意をちゃんと払い、言葉の選び方ひとつひとつにも気を遣いながら丁寧に接する態度でした。



年下相手だろうと、エラソーだったり横柄だったりなんてことが微塵もなく、

あるいは、旬のタレントや俳優の若さや人気に対して卑屈になったり、なんてこともなく、

相手が誰だろうと気持ち良い態度が全く変わらない、本当に「紳士」という表現がぴったりな

方だったな、と思います。



ましゃも「たまラジ」で追悼の想いを込めて児玉さんとの思い出を少し語られておりましたので、

ちょっと抜粋。(たまラジHPでは全文読めます。)


 「初めて僕がお会いしたのは、2003年のドラマ『美女か野獣』で共演させていただいたときでした。

 児玉さんはいつもひとりでスタジオの中にいらっしゃることが多くて『一人になりたい方なのかな』

 と思ってたんですけど、僕も余計なお世話といいますか、ちょっとコミュニケーションを、なんて勝手に思いまして、

 『児玉さん、児玉さん、』なんて、よくスタジオの中でお話させていただいていました。


 とても知的な方で、読書家で書評家でもいらっしゃいましたから、本当に色々なことをご存知で、

 雑学的なことも文学的なことも大変勉強させていただきました。」



 「児玉さんが『僕はオリンピックに行きたいんですよ。一生に一度でいいから』なんてお話をされていて、

 僕はちょうどテレビ朝日さんの方でオリンピックに行く機会が多かったので、『じゃあ、是非一緒に行きましょうよ。

 僕、ちょっと番組の方に言ってみますよ』なんて言って、2004年に一緒に行く機会をいただきまして。

 テレビ朝日さんの方からも快諾していただいて。」



この時のことが児玉さんは本当に嬉しかったらしく、日経新聞の「交遊抄」でこう書かれていました。


 「人見知りが激しく偏屈を装っていた僕がドラマの現場で初めて心を開いた友が福山さんであった。

 僕がオリンピックオタクであることを知った彼はさりげなく『次のアテネに一緒に行きましょうよ』と言った。

 が、番組(「美女か野獣」)も終わり、彼の言葉も冗談と片付けたか、すっかり忘れてしまっていた。


 ところが、なんと二年後のある日、突如彼から電話がかかってきた。ちゃんと番組を用意して、

 僕を夢のアテネへと誘ってくれたのだ。喜びも爆発的だったが、福山雅治というすてきな若者との

 心の交流を通じて、信頼という一番大切なものを改めて教えてもらった思いがした。

 そして生きることにまた新たに燃えたのだ。」



ましゃの言葉に戻ります。


 「その後もメールのやり取りはずっとしていたんです。で、『龍馬伝』で共演ってことになったんですけど、

 この共演にあたっても最後の最後に背中を押してくださったのは児玉さんでした。児玉さんは常々僕に、

 『あなたは一見飄々としているように見えて世間では二枚目風に思われているけど、僕が知っているあなたは

 もっと骨っぽくて男らしいところがあるから、そういうものが見たいな。』とおっしゃって下さっていて、

 『龍馬は本当にぴったりだと思うよ。』とも言って下さって。


 僕は自分ではそういう風に自分のことを客観的に見れないので、ああだこうだ、うだうだ迷っていたんですけど、

 児玉さんがそこまでおっしゃってくださるんだったらやってみようかなと思って。

 最後のひと押しというか勇気をいただいて『龍馬伝』をやることになったんです。」




 「『龍馬伝』の中では父子という関係だったんですけど、お芝居をしてても役柄の設定以上の何かを感じられました。

 あえて愛情と言わせていただきますけど、児玉さんがそういうお気持ちで芝居場に立ってくださっていたので、

 役柄を越えた生の感情というものを、親子のシーンの中ではいつも感じさせていただきました。


 児玉さんが演じられていた八平さんは第七話で亡くなったんですけど、その後も本当に一年間ほぼ毎週、

 メールを下さいまして。『今週はあれが良かった。これが良かった。』って。

 当然お芝居で迷ったりすることもあるんですけど、児玉さんがいつも応援して支えて下さっていたので、

 それで乗り越えることができた『龍馬伝』だったと本当に言える存在でしたし、作品でしたね。」



児玉さんは龍馬を演じる福山のことを、最後まで本当に父のように見守ってくださったようで、

NHKスタジオパークで語っておられた大好きなエピソードがあります。



寺田屋で襲われた龍馬さんが、材木屋の屋根の上まで逃げて瀕死の状態で父の名を呼ぶ、

というシーンがありますが、この場面をご自宅のTVで見ていた児玉さん、

龍馬さんの「父上・・」という呼び掛けを聞くやいなや、

「呼ばれた! 行かなきゃ行かなきゃ!」と、思わず立ち上がってあたふたしてしまったと。

児玉さんが龍馬の父を演じていたのはもうずいぶん前で期間も短かったのに、

福山が龍馬を演じている限り、ずっと龍馬さんの父でいてくださったのでしょうね。




ましゃは児玉さんが亡くなる2週間前に、ご家族もご一緒の場でお会いすることができたのだそうです。

2時間ほどお話をし、長居をしてしまったので帰ろうとすると「もう帰っちゃうの?」とおっしゃられたとか。

ではもう一度ましゃの言葉に戻ります。



 「一見クールな、ハンサムなという感じがしますけど、実は児玉さんの方こそ大変男気がある方。

 でもそれを表には出さず、シャイで少年のような、本当に少年のままの77歳でした。

 お芝居の方もいつも、最後まで悩み迷いながらやっていく、そういう人間らしい方でした。

 『俺はこうなんだ。だからこう行くんだ。』っていう雑な感じではない、大変繊細な人柄で、

 本当に僕の憧れとする、理想とする児玉さんでした。あんな素敵な方にはなれないと思いますけど。


 僕は親父を早めに亡くしていますから、東京の父みたいな感じで勝手に慕ってたんですけどね。

 僕もなかなか実感がなく、受け入れられていないというのが正直なところです。

 作品の中では児玉さんという方は永遠に生き続けますし、永遠に龍馬の父でございますから、

 色々な思いに寄り添いながら、もうしばらく、共に過ごしてゆければと思っております。」



最高に自然体で素敵な40代オトコマエさんと、最高に紳士で少年な70代。

年齢は親子ほどに離れていても、相通ずるものがあったのでしょうね。本当に素敵な関係です。

児玉さんのご冥福をお祈りいたします。





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