2005年02月24日(木) |
つよちゃんとケミちゃん |
ジェンカの剛さんにぼーっと見惚れて
弱りきった光一さんにぼーっと見惚れているうちに(今週はやはりこの光一さんで生きてます、ワタクシ)、
楽しみにしていた『正直しんどい・ケミストリー編』に突入してしまいましたわ。
先週のレギュラーとソニンちゃんとの暇つぶしも良かったけどね。
だって、今どきジェンカですよ?
片方のぽっけに手を入れてジェンカのステップ踏んでるだけで
こんなにカッコイイおとこがいるなんてーーーっっ。
前 後ろ 前前前♪
右 左 前前前♪
こんだけなのに。
アルマジロ体操より簡単なのに。 >実はこっちも踊ってみたい
イントロで身体を揺らしているだけでもカッコイイ剛さん。
ま、『ファンタスティポ』で イェイイェイ にゃんにゃん くるくる してるだけでも
万人の目をくぎ付けにできる男だからな。
しかし、あまりに古いフォークダンスにびっくりしましたが、
ひょっとしてこれは、ラジオ体操とかオクラホマミキサーとかと同じように、
いつの時代になっても日本の小学生はみんな経験し、古くなりようがないものなのでしょうか。
これ、ワタクシも小学生の頃、運動会で踊ったのだけど、
学校には歌詞が入ってないインストルメンタルのレコード(アンティークだな、もはや)しかなかったのね。
で、坂本九が歌ってるレコードを持ってる同級生がいて、
担任の先生が「歌詞があるならそっちにしようか」ってことになって、
先生はその子からレコード借りて、運動会の練習に使ったのだけど
♪レッツ キッス ほほ寄せて〜♪
から始まる一連の歌詞に「キス」とか「くちづけ」とかいっぱい出てくるから
「小学生にはいかがなものか」という先生のご意見で、
結局インストのレコードに戻ったんよ。のどかな話じゃのぉ・・・・
そんな古典に合わせるかのように、剛さんの口から出てくる人名も
けっこうな年配の方が多かったのにも驚きましたわ。
あんなおしゃれさんで発想の斬新さもハンパじゃないのに、時にこういうセンス。
ほんと、
いつの時代に生きてる人なんだかさっぱりわからん、この男。
さて、楽しみにしていたケミストリーとのストリートライブ♪
剛さんのいるところに、音楽と、音楽を愛する素敵な人たちがいてくれると、
こんな楽しい風景になるんだな。
『聖夜の音楽SP』もとても良かったしさ。
これからもがんがんミュージシャンのゲストを呼んでいただきたいです。
お遊びでかるーく口ずさむ歌も、
何の気なくつま弾くギターの音色も、
この3人から発すると、即座に「高額のお金が発生する」ほどのものなのに、
そんなこと全然関係なく、
ただ純粋に楽しんでいる様子が凄く素朴でもあり、とんでもなく贅沢でもあり。
ケミのふたりが、カラオケで歌ってる後ろで、
歌詞まちがえてないか画面でがっつりチェックしつつも、
ふたりの素敵な歌声に自分も加わりたそうに、お尻ふりふりしている剛さんがーーーーーーーっ。
か・・かわいい・・・
抱きしめていいですか? >却下
彼らにかかれば「白菜」だって「H・K」という、
何だかわからんけど心惹かれる言葉に生まれ変わってしまうし。
こういうの見ると、モノでも音でも言葉でも、命を吹き込むのはそれを身につけたり発したりする
人間そのものだよなー、ってつくづく思いますわ。
誰か他の人が、同じモノを持ち同じ服を身につけ、同じ歌を歌い、同じ言葉を話したとしても、
全然魅力的に見えないし、全然素敵に聞こえないのに、
この人が身にまとうから、この人が歌うから、この人が語るから、
モノも音も歌も言葉も、初めて命を吹き込まれて
その存在意義をもち始めるように感じることがあります。
なんてことなかったものに、いきなり輝くばかりの価値を与えてしまえる人。
そういう人が、いるんだな。
イタくてごめんよ。でも本心でございます。
それは座長も同じ。
あのロミオ、目を閉じて横たわっているだけなのに、
思わず息を止めてじーーーーっと見つめずにはいられないのは、
それが光一さんを通して伝えられるものだから。
『yoru-no-umi』があんなに切なくて美しいのも、やはり光一さんが踊ってくれているから。
他の誰かでは絶対できない、光一さんにしかできない命の吹き込み方をしてくれているから。
見せ方、聞かせ方といった技術が確かでなきゃいけないのはもちろんだけど、
それだけじゃ、ここまで多くの人を惹きつけないよね。
自分と、自分にかかわる色々なものを活かすことができる人って、
人の心にちゃんと届くものを創れる人って、そうじゃない人と何が違うのだろうか。
わからんな。
わからんまま、剛さんの歌に酔い、座長の舞いに酔うばかり。
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