せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年09月08日(木) 美味いものを求める食欲の秋

先日来鰻が喰いたかったので、昨日の昼に「寿司盛り合わせ」というのを選んでみた。

と言ってもまともな寿司屋に行った訳では無く、そこいらの仕出し弁当のようなものなので、米粒はまんまと押し潰されネタもはみ出し気味の、無残な寿司である。しかし硬いものに齧り付いて噛み切る事が難しい、矯正中のワタシならではの苦肉の策でもある。

それは鰻の巻き寿司、トロ巻き、それに所謂「加州巻き」という三種の巻物が入っていたのだが、困った事にそのどれにもアボカドが巻き込まれていた。

鰻とアボカドは一寸くどい、と知る。



夏の間外食が続いていたので、懐が寂しくなって来た。それで近頃は心掛けて、出来るだけ自炊するようにしているのだけれども、それでもこれはと思うような美味いものに有り付けないでいるので、なにやら口が寂しい。

いや、何も日本のご飯が恋しいという話では無い。

ワタシは比較的外国での暮らしに慣れたと見え、長らく日本ご飯を食べずともそれなりに精神の安定を保つ事が出来る。

それに例えば中国ご飯だとか韓国ご飯、それにタイご飯やインドご飯など、要するに米粒や醤油味はこの界隈の何処かしらで味わえるので、厳密には日本ご飯では無いけれども、まあそれなりにアジアのご飯を楽しんでいる。それで充分である。

それに加えて、例えばイタリアご飯はワタシの大のお気に入りだし、ギリシャご飯もたまたま近所に店があるので手軽である。

序でにアイルランド酒場も近所に数件ある。ビールで腹は一応膨れる。

近所と言えば、アラブの民が良く屋台を出していて、そこで「ハラール」といって宗教的に清められたとされる肉を使った屋台ご飯を売っている。そこの鶏を焼いて生野菜と芋や茄子の揚げたの等と一緒にご飯の上に乗せて、辛いソースだの白いソースだのを掛けた「鶏ご飯」は、ワタシのお気に入りである。

この白いソースは、正式名称は「タヒニ」と言うのだが、マヨネーズの薄まったような成りをしている。これをアラブの民は何にでも掛けて食べているようである。何処の屋台でも日本円にして五百円程で食べられるから、帰りしなに近所のに立ち寄ったり、また昼飯にオフィスの近所で見繕ったりなどして、割合頻繁に食べている。

この屋台はアラブの民だけでなく、インド・パキスタンなどの南アジア系の民も同様に商売をしていて、そういうところのに当たると鶏がカレー風味なので、これもまた美味い。

そういえば先日食べた屋台のはアフリカ系だったような気がする。アフリカは「マグレブ」という地方にしか出掛けた事が無いので、それ以外の黒アフリカ地方で果たしてカレーを食べているのかどうか、ワタシは知らない。

オフィスの近所には実は高いばかりで美味いものが中々見当たらないので、ついついサンドウィッチだとかスープだとかパニーニというこれもまあ広く言えばサンドウィッチのようなものだが、そういった在り来たりなものが多くなってしまうのが難である。

ピザ屋も何処にでもあるのだが、この界隈でピザと言ったら、所謂トマトソースの上にチーズを乗せたシンプルな「マルゲリータ」というものが一般的である。忙しい人々はこのピザを約百五十円程で買って、それをソーダで流し込む、というような乱暴な食事で済ませたりする。しかしここいらのは何しろ油が多いので、流石にワタシはこれを毎昼喰う訳には行かない。



食事の話をしていてふと思い出したのだが、例えば男と食事に出掛けたりして、そいつががつがつと一心不乱に喰っている様を見るのは、辛いものがある。

つまり、喰い物も良いがワタシの方も見ろ、という話なのだが。

そういう食事の仕方なんかで、そいつの心の余裕だとか社交性の有無だとかベッドでのオンナの扱いだとか、そういった諸々が垣間見れてしまうので、だからワタシは付き合うかどうかを決める前にとりあえず食事をしようと誘う。大概はご馳走してくれるので、好都合でもある。

こういう事は二十代の頃には何度かデートを重ねるまで知り得なかったから、そう思うとワタシも多少は大人になったのだなあ、と感慨深い。



ところでワタシの愛する清志郎さまのちゃりんこは、どうやら無事に見つかったようで、何よりである。何処の馬鹿だか知らないが、人のものを盗んではならぬ。



そういう訳で、今日の夕飯は何にしようかと思案した後、結局「捻りパスタ」と大蒜を二三片茹でて、それに缶詰のもろこしとツナ、バジルとマヨネーズを和えて、パスタサラダを作る事にする。保守的な伊太利亜の民が見たら怒るかも知れないが、一部別にして大蒜醤油を加えたのも楽しむ。

明日は何を喰おうか。



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