せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
昨日の日付で書いた日記のつづきである。つまり、日曜の午後にこれを書いている。 先程の日記を書いた後、忽ちざんざんと大雨が降って来たので、大急ぎで窓を閉める。むんむんとして大変不快な、冷房の無いワタシの部屋。 ワタシの嫌いな「勘違い君」について以前詳しく書いたが、ワタシが良くヴォランティア活動をしに行く施設に、彼も良くやって来るので、困っている。 二週程前、このヴォランティア活動が終了した後、偶々「ストリートフェア」と言って、ある通りを区切ったところを歩行者天国にして、屋台の食べ物屋だとか民芸品屋だとかを並べた、日本的に言うところの「縁日」のようなものを近所でやっているのを発見して、数人のヴォランティア仲間と連れ立ってそこを冷やかして歩いた。 ワタシは食事を取っていなかったので、何か食べ物を買いたいと申し出たところ、この「勘違い君」はそれでは何が喰いたい?あれは?これは?と、得意のファストフード店の名前を幾つか挙げ始めた。 甚だ興醒めである。 折角こうしてストリートフェアにいるのに、どうしてファストフードなど食べなければならないのか、ワタシはここで売っている食べ物を買い食いしたい、と述べた。 日本でも縁日などに出掛けたら、恐らく皆さんも買い食いしたいと思うでしょう?当然ですよね。 するとあるヴォランティア仲間が、それならばイタリアンソーセージを挟んだサンドウイッチが旨い、と教えてくれたので、ワタシたちはその屋台を探しててくてくと道を進んで行った。 漸く発見出来たそのソーセージ屋で、余りの法外な値段で売られているそのソーセージ・サンドウイッチに、ワタシたちは面食らう。 それならば、手前の店で売っていた「ファラフェル」といって、中近東では馴染みの有る、豆を潰して作った団子を揚げてピタ・パンに挟んだサンドウィッチの方が安いからそちらにする、と言って、腹ペコのワタシはさっさと買い求めると、それを食べ始めた。 例の「勘違い君」は、いつまでも決断出来ないでいたようである。 手前で食べたい物をいつまでも決められないで居る男というのは、一体どういう了見なのだろう。聞けば、彼はいつもこういう調子だと言う。 ワタシたちは周囲を徘徊しながら、見世物や民芸品を見物し、ワタシはがつがつとファラフェル・サンドウィッチを頬張りながら後に続き、そうしている間にストリートフェアの終点に辿り着いた。 その頃にはワタシもサンドウィッチを食べ終えていたが、その段階でも、「勘違い君」はまだ食べたい物を決めかねており、しかし親切な仲間たちはそれを咎めもせず、付き合ってやっていた。皆、人間の出来が違うなあ。 ワタシはそんな優柔不断野郎の為に、金魚のうんこのように彼方此方くっ付いて歩いて回るのは御免だったので、どこかでこの人々と別れて、ひとりでコーヒーを買って公園にでも行こうかと思っていた。しかしある仲間の女性が自分も一緒に行くと言うので、仕方無く行動を共にする事にして、ワタシたちはコーヒーを求めに近所のあるショッピングセンターへ向かった。 ワタシたちがコーヒーを購入し終えても、彼はまだ食べたい物を決められずにいた。ワタシは今日は折角の日和なので、近くの公園に座って外でコーヒーを飲もうと思うので、それでは、と仲間たちと別れるつもりで言うと、例の女性が、自分もコーヒーを公園で飲むから、一緒に行こうと言う。 そうですか、ではそうしましょう、とワタシたちが公園へ向かおうとすると、「勘違い君」は漸く、食べたい物が決まった、通りの向こうに有るファストフードのサンドウィッチ屋へ行く、そしてそれは帰りの電車の中で食べる、と言った。 するとこの女性が、では皆でそちらへ行きましょうと言い出したので、ワタシはそんな馬鹿に付き合っていられないと思い、ワタシはもう歩き疲れたので、このまま公園に行きますから、皆さんとは此処でお別れします、と言った。他にひとり男性が、自分も用事があるから此処で失礼すると言うので、では此処で皆別れようかという雰囲気になった。 ところが、この女性はどうやら「皆で」時間を過ごしたかったと見え、ならば自分は貴方と一緒に公園に行くから、貴方たちはサンドウィッチを購入したら公園で落ち合おう、などと言い出した。 折角ののんびりした週末の午後に、また面倒な事を、と思いつつ、しかし他の人々がでは自分が彼と一緒に行くから、貴方たちは公園へ、とか、いや自分が行くから貴方はあちらへ、とか、あれやこれやと相談しているのを見るに見かねて、分かりました、では皆してサンドウィッチ屋へ行きましょう、と言い、連れ立ってまた歩き始めた。 人々をこれだけ振り回しているこの青年は、一体どういう馬鹿だろう。こんなに依存的なのは、個人主義を標榜するこの国で出会う人々としては、非常に珍しい。何故、自分はひとりで食べ物を買って来るから、皆さんは公園で待っていてくれとか、気の利いた事が言えないのだろう。 こいつはこの間の一件について反省するどころか、更にそれを冗談にして話し掛けて来たという経緯があったので、ワタシは実はその日、既に相当気分を害していた。しかし他の心の広い皆さんにはそれを特に話していなかったので、世間話などしながら何事も無かったかのようにして後に続いた。 「勘違い君」はサンドウィッチ屋が余りにも混んでいるのを見ると、タコス屋に変更すると言って、隣の店に入って行った。ワタシは別の若い女性と外で待つ事にした。 それはそれで、また時間が掛かり、ワタシとこの女の子は立ったり座ったりTシャツをはらはらと仰いだりしながら、暑い中彼らを待った。 漸く公園へ向かうと、ワタシたちはベンチに腰掛けた。 「勘違い君」はワタシをまたしても外人扱いし この国では、メキシコ料理のタコスというものは大変人気があり、そのファストフード店もどこの街でも見掛ける程であり、ワタシも度々口にしている。 ええ、勿論ありますよ、と答えると、味見するか?と言う。 結構です。(そんな事はいいから、腹減ってるんだったら、さっさと喰え!) その間ワタシたちは他愛も無い話をしていたのだが、そのうちあらかた喰い終わった彼は、ねえ君、タコス食べない?と、なんと残り物を差し出しながらワタシに問い掛けるではないか!? げー、気持ち悪い!アンタの喰い差しなんか、要らないよ!馬鹿にしてんの? ワタシはこの辺りでもうそろそろこの馬鹿とは別れて、ひとりになりたいと思った。 ワタシはおもむろに、おおそうだ、公園の向こう側の市場で、隣町産の完熟トマトを売っているから、それを買って帰らなくちゃ!と呟き、皆さんはまだここに居るのですか?それではワタシは買い物に行きますので、ここでさようなら、と告げた。 例の女性が、あらそれなら荷物を此処へ置いて、買い物に行っていらっしゃいよ、私たちまだ暫くここに居るから、と言う。 しかしこの機会を逃したら面倒だと思ったので、いえ結構です、このまま帰りますから、それでは、と言った。 すると彼女は気を悪くしたらしく、あらそう、じゃあ私たちにわざわざ付き合ってくれて今日はどうもありがとう、と嫌味のようなお礼を述べた。 ワタシはすぐさま、そんな、ワタシも勿論楽しみましたよ、と彼女の腕を抱きながら笑顔で言ったのだが、どうやら彼女はそれをお世辞だと受け取った様子で、何も言わなかった。 嫌な予感がした。 ワタシはこの馬鹿な「勘違い君」と付き合って過ごすのが嫌だったのに、この全く関係の無い女性がそれを勘違いして、自分と過ごすのが嫌なのだと思い込んでいるようである。 彼女の弟が最近始めたカフェに皆で行きたいから、今日帰ったらメールを送るわね、と言っていたが、結局そのようなメールは来なかった。 翌週また同じ施設にヴォランティアに行くと、思った通り、彼女はなんとなくワタシを避けて居る様子であった。別の女の子は突然来るのを取り止めたとかで姿を現さず、「勘違い君」も相変わらず無礼な発言を繰り返すものの、これまで程しつこくは寄って来なかった。 恐らくワタシが去った後、彼らはワタシの悪口で盛り上がったのだろう。そして「勘違い君」の無礼は問題にされず、それに気分を害したワタシが悪者という事になり、彼らは皆してワタシを嫌いになるという事で合意したという事か。 もしそうだとしたら、良い大人が揃いも揃って、随分間抜けな話である。 この女性は中年と言って良い年代だと思われるのだが、それにしては多少挙動不審な点があるので、自分と無関係な問題を勝手に関係があると思い込んだとしても不思議は無いが、しかし以前は化学教員だったと言うから、なんだか子供の喧嘩に紛れ込んで来た先生のような感が無いでも無い。 嗚呼、なんと面倒な人々。 ワタシはこんな「人間ドラマ」に関わる為にヴォランティアをしているのでは無いのに。 折角気に入った施設なのだけれど、そしてワタシの顔を覚えてくれたゲストも出来て行く度に声を掛けてくれたりして、中々居心地も良かったのだけれど、こんな面倒臭いドラマチックな人々が集う場所なのなら、ワタシはそろそろ退散して、他所へ行くのが良いだろう。 そういえば、昨日贔屓のゲストのひとりが、水星の逆行が間も無く始まる事を知っていて、早くやるべき事はやってしまえと忠告してくれた。初めは何の話かと思ったが、この歯抜けおじさん、どうやらワタシと趣味が合うらしい。彼に会えなくなるのも、残念である。 ところで最近気付いたのだけれど、この国のアジア系住民の中には、大学を卒業してもまだ実家で寝泊りしている子供たちというのが、意外と多い。 非アジア系では、それはかなり恥ずかしい行為というか、成人してもまだ親と暮らしているなどと言うと、それだけでもう後ろ指を差される不気味な行為なのだけれど、その辺りアジア系の家族は割りと寛大というか、子供たちの方もそれで特に不味いとは思っていない様子である。 この「勘違い君」もそうだし、語学の授業で出会った別のアジア系女学生もそうである。しかし彼らは移民ではなくこの国で生まれ育った「市民」であるので、言動などは一丁前にこの国の人間風なのだが、その辺りのギャップがワタシとしては些か気味が悪い。親と暮らしている癖に、どうしてそんなでかい事を言うのだ?と思ってしまうのである。 大体自分の洗濯物も自分で洗わないコドモに、自分の食べる物を自分で買い物に行かないで済んでいるコドモに、偉そうな口を利かれたくは無い。 それと彼らは人種的に意外と保守的というか、恐らく学校時代余り他の人種に相手にされなかった所為もあるのだろうけれども、どうもアジア系同士でくっ付きたがるし、人種差別的発言も多く見られる。 この街は一応「人種の坩堝」という事になっているのだけれど、それにしてはこのアジア系の排他的な様子は、一寸不可思議である。 漸く雨が上がる。
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