せらび
c'est la vie
目次昨日翌日
みぃ


2005年07月17日(日) 返事を出さない人々

蒸し暑い日曜の午後である。

雨が降ったり止んだりしていて、洗濯屋へ行きたいのに、一寸戸惑う。

仕方が無いので、窓外の様子を眺めながら、昨日ヴォランティアに行った施設で貰って来た余り物のパンでもって、七面鳥のハムを挟んだサンドウィッチを作って食べる。

これはひょろひょろと細長いが、色々の穀類がぎっしりと詰まっていて、非常に美味である。

これを勧めてくれたヴォランティア仲間に、教えてあげなくては。



語学講座も残すところあと一週間となった。

週明けにはまた小試験があるので、慌しいのは相変わらずだが、もう一週間するといよいよ終了試験である。ぎゃぁあ!

それぞれの学生の専攻分野の本や論文などから二三ページ抜粋したのを訳すのだが、今のところワタシは時制の変化をまだ押さえ切っていないので、大変憂鬱である。

幸い先日同僚宅のパーティーにて、該当言語国出身の女学生と知り合ったので、試験前に一寸時間を割いて貰って、添削でもして貰えたらと思っている。



ところでこの同僚宅パーティーでは、予想外に楽しく過ごせた。

というのも、招待客の多くは同僚なのだが、それ以外の彼女の個人的な友人らも多く招かれており、ワタシは主にその非同僚らと歓談して過ごした。

そうしたら、例の女学生とその男友達と語学の話だとか現在手掛けている調べ物の話だとかで盛り上がったり、また最近子供が生まれたというある夫妻からその生々しい出産状況について話を聞いたり、それからその奥さんの方は勤務医らしいのだが、斯様にして女医がある特定分野に集中しがちであるかというような男社会「病院」でのホラー・ストーリーや、また彼女もヨガをやるという事が分かったのでその話など、何やら意外に楽しかったのである。

いずれも心根の良さそうな好人物であったので、ワタシはそんな友人を多く持つこの同僚を見直した。


後に同僚らとも少し歓談したが、彼らは主に彼ら同士で固まって過ごしていたようなので、ほれ見ろ、どこへ行っても詰まらない奴らだ、と内心気の毒に思いつつ、しかしワタシ自身は大いに充実した心持ちで、帰宅した。

少々呑み過ぎて、その日はよく眠れず、翌日のヴォランティア活動が一寸辛かった事を除けば、概ね良い週末である。



ところで、その同僚はこのパーティーの為に、とあるインターネットのサービスを利用して出欠状況を把握していたのだが、それによると、招待された同じ部署の同僚の半数程が、なんと出欠の返事を出していなかった。

ワタシはその事実に驚いて、社会人として一体どういう了見だろうと憤慨したのだが、その中に例のワタシの 「腐れ縁オトコ」を見つけ、なんという社交上のマナーを把握していない馬鹿たれだろうと、幻滅した。

オトコとしての態度云々より、寧ろこちらの方が始末が悪い。


帰り道、同世代の独身女性である一同僚と、彼女の乗る郊外電車を待つ間にこの話になったのだが、ここ何度かの会合のお膳立て状況を見るにつれ、そういう最低限の出欠の連絡すら寄こさないマナーの悪い同僚というのが、非常に目立つという事実に対し、ふたり共納得が行かぬという結論に至った。

その多くは男性であり、たまに女性もいるのだけれど、何しろ来るのか来ないのかぐらいの連絡など、画面上の「返事」ボタンをクリックして、「はい」か「いいえ」の一言で足りる話なのに、それすら「忙しい」という理由で怠っている訳である。

ワタシはこれらの人々の言う「忙しい」というのは一体どういうものなのだろうかと、半ば呆れて、彼是と考えを廻らせた。



ワタシはそういう訳で家族関係に余り恵まれなかった所為で、友人関係を非常に大事にしている人間なのだが、だからこういった招待を受けたら必ず返事は出す事にしているし、また何かしら思う事があって、ふと思い付いて誰かに伝えておこうと思うような事が見つかったら、それがどれ程他愛も無い下らない事であっても、出来るだけ後回しにせずメールを打っておく事にしている。

そうして、ワタシは貴方の事を今考えていたのである、という事を知らせておく。

また、引越しなどして連絡先が変わったり、近況に大きな変化があったりした折には、人々にまとめてメールを送って、それを知らせる事にしている。

薄い関係の友人であっても、濃い関係の友人であっても、このリストには一応含めている。

それをきっかけに、思い出して連絡をくれたりするのも居るから、連絡は絶やさぬように心掛ける。

インターネットの普及に伴い、またワタシのように友人が近所に固まっていない人間には尚更、只でさえ疎遠になりがちな昨今であるから、思い立ったら簡単にメールを送っておく方が何かと良い、となんとなく思っている。



その「出欠の返事を出さない人々リスト」を見て、嗚呼こうして人は友人や人生の機会を失って行くのだなあ、と感慨深く思う。

それはつまり、自分の人生を濃くしたいと思うか、只そのままなんとなく生きていくか、という、姿勢の違いのようにも思う。

尤も、そんな元気の無い時だって人生のうちにはあるから、誰もが皆あらゆる機会を逃さぬよう精力的に対外活動をする訳ではなかろうけれども。

それにしても勿体無い事だなあ。

第一、例の腐れ縁オトコはどうやらいつもそういう調子でいるので、既に同僚のうちから「あいつは誘っても返事すら寄こさない」という評判を頂いているのである。同僚として一応誘っておくけど、当てにはしない、という訳である。

そんな不名誉は、自分に対してどうなのかしら。


人との付き合いは、大事にしておかなければ、と改めて思う。



そんな事を思いながら、ワタシはヴォランティア活動に出掛けた先で出会う、家の無い人々や低所得の人々らにも、出来るだけ彼らの身になって接する事を心掛ける。


そういえば昨日は、きゅうりのサラダを器から出して蓋付きカップに詰めて、持ち帰れるようにして差し上げたら、いつもその施設にやって来る常連の家の無い一男性が、大いに喜んでくれた事を思い出す。

この施設はワタシも気に入っているのだが、しかし例の「勘違い君」もいつも居るので、困る。


あら。

話が長くなりそうなので、続きは翌日分に回す事にする。


昨日翌日
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