せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年05月10日(火) 同時通訳というもの

予定がぽっかり空いて遅ればせながら休日気分、などと先日の日記に浮かれて書いた直後、「コーディネーターその二」嬢から電話があった。

翌日に隣町の高校で、被爆者の皆さんが講演会をする事になっているのだけれど、その通訳がひとり足りないので、都合は付けられるかという話であった。

それからワタシは方々へ電話をしたら予定の変更が出来たので、快く承知して、翌日は早朝から出掛けていった。

ちなみに早朝というのは、朝六時半集合である。

金も貰わないのに、こんな朝っぱらから出掛けて行ってやるワタシ。本業にもそれくらい精を出そう。



来いと言われたホテルのロビーに行ってみると、日本から被爆者の皆さんを引率してきた担当者という人物は、まあはっきり言うと全然「コーディネーター」としての役割を果たしていなかった。

そういえば電話でも、こちらから彼是と質問をしないと必要な要件が出て来ないという状況だったので、怪しいとは思っていたのだが、実際会ってみると本当に口が遅いと言うか気が利かないと言うか無能と言うか、中々仕事が始まらない人であった。

一寸言い過ぎかしら。

でもホラ、何しろこちとらお金貰って無いから、ダラダラ仕事されたら困るのよ。


それで、挨拶してから暫く待っていたら、「本日の通訳活動に必要な書類」というのを手渡された。これを目的地に到着して活動が始まる前までに読んでおけ、というのである。


はっきり言いましょう。

それは無理。

一枚や二枚なら分かるけれど、それは「束」だったのだから。

そういう予備知識が必要なら、もっと早くに連絡を寄こしなさい。昨夜の今日でいきなり、これを読んでおけ、というのは、無神経過ぎ。「プロフェッショナリズム」という言葉を聞いた事がありますか?


仕方が無いので、その場で立ったまま少し読み始めたのだが、如何せん難しい漢字が含まれていたり、聞き慣れない日本の法律や条約の日本語訳などがあって、斜め読みでは頭に入らないので、中々読み進められない。

そこへ、その前の週末に会った現地人の女性で、日本を何度か訪れた事があるという学者が、別の二ホンジン通訳女性を連れて到着したので、挨拶をしがてら、ところで今日はどういった算段になっているのでしょうかと聞いてみたのだが、そうしたら彼女も、私も良く分からないのですと言うので、ふたりして顔を見合わせた。

それからその通訳嬢とも挨拶して名刺交換をしてみたところ、彼女は日本の某団体職員であった。彼女の現地語は比較的現地的(ネイティブ並み)であったので、恐らく留学経験があるのだろうと思われた。大変真面目な人で、きっちりと厳密に訳そうとしている様子が、如何にも二ホンジン的だった。

彼女は全く別口でこの街にやって来たところ、通訳が足りないと言われたので急遽参加しているというのだが、彼女は既にその「書類」を前日に入手していたので、昨夜ざっと読んでおいたと言っていた。

他にふたり通訳がいて、その人々は被爆者の皆さんと殆ど一緒に活動している様子ではあったが、彼女らの訳すのを聞いていると、発音問題はさて置いても、訳語や意味に随分間違いがあったので、ワタシは一寸不安になった。

しかしワタシは身の程をわきまえる事にして、余り出しゃばらないように、言われた事だけやるようにしておこうと決めた。



その高校は十一歳から十八歳までの若者が通う私立学校で、これは中々行き届いた教育を施している、恵まれたエリート養成校であった。

その所為か、子供たちは大人しく話を聞くし、この為に既に学習していると見え、色々と優れた質問もするし、中には被爆者の体験談に涙する感受性の強い子もいたそうである。これらの反応は、被爆者の皆さんには概ね好感を与えたようである。


結論から言うと、色々の不都合はあったものの、ワタシ個人としては初めて公の場で「同時通訳」というものを体験し、それがこれ程難しいものだったのかという事を知る良い機会になった。

これは教室内で限られた人数に向けて通訳する分には、同時進行で充分賄えるのだが、これを大きな講堂などの、音が反響したりマイクロフォンを使用する必要があるような状況でやるとなると、どうしてもヘッドフォンやらイヤーフォンやらの聴覚機材が必要になるのである。

そういった機材の準備が無かったので、講堂で同時通訳をやろうとしたところ、マイクを通した自分の声で講演者の声が聞こえなくなる、という事態が発生し、所々話を聞きそびれてしまった。

それで、その辺りは少々誤魔化して適当に話を繋げたのだけれども、これは大変後味が悪かった。恐らく聞いている現地人には意味不明な箇所もあったろうし、また他の通訳にはその誤魔化しがバレていただろうと、終了後ワタシは大変恥ずかしく思った。


しかし一寸言い訳をすると、その講演者は通訳の時間も含めてこの時間では足りないと、講演時間が短すぎる事について苦情を訴えていたのである。既に時間が押しているところへ持って来て、その後この集団は街へとんぼ返りして別の集会に参加するという次第になっていたので、どうにもそれが精一杯の時間であった。

そうなると後は、通訳であるワタシが通訳の時間を削る以外に、やりようが無かったのである。

それで、他の通訳のように講演者が一文話し終わるのを待ってから通訳を始めるやり方では間に合わないと判断して、(日本語の主語が聞こえた途端に現地語訳を喋り始める)「同時通訳」でやる事にしたという訳である。



あのよく見かける、通訳者のヘッドフォンやイヤーフォンなどというのは、「伊達」では無くて、ちゃんと意味のあるものだったのか!という、発見。


それと同時に、ワタシもそういえば長年外国暮らしをしているうち、知らぬ間に「同時通訳」などという技も使えるようになっていたのか!という感慨。


日頃「翻訳」というのをする機会はあるけれど、「通訳」というのは、また別の技術がいる代物であった。


昨日翌日
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