せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
やれやれ、彼方此方大忙しの週末が終わって、今日はぽっかり明いた休日である。月曜だけど。 先日も書いたように、この週末は核不拡散条約見直し会議関連で、日本から多くの反核・平和運動家の皆さんがやって来ている。その通訳ヴォランティアとしての活動と、以前からやっている方のヴォランティア活動とで、両日出ずっぱりの週末であった。お陰で一寸小声で言うけれど、何故か筋肉痛で、足腰が痛い。 しかし実際事が終わってみると、今回の一件ではワタシたちには余り知らされていなかった様々な「裏事情」というのがあり、その証拠に今日明日と折角空けておいたのに突如用無しになってしまったワタシは、一足遅れの週末を謳歌しているという訳である。 土曜日には街のとある大教会にて、日本からの反核・平和運動家の皆さんが集合して、決起集会と言って良いのかどうか分からないが、何しろでかい会合が催された。後で聞いたところに拠れば、一週間前までこの会場すら決定していなかったそうだから、如何に事が纏まっていないかという様子が知れる。 ワタシたち現地在住ヴォランティアはそこで、この現地の同朋の皆さんがお手伝いをして下さいますよと紹介される、という話だったので、ワタシもそれに出掛けて行った。 先約が迫っていたので、ワタシはほんの一時間程で退散したのだけれども、後で聞いたところによると、ワタシたちはそこで随分な扱いを受けたそうである。 司会者氏が簡単な紹介を述べた後、「現地コーディネーターその二」とその他数名の現地ヴォランティアが会場前方へ進み出て、コーディネーター嬢がいざスピーチをとマイクを受け取ろうと手を伸ばした瞬間、司会者氏は見事にそのままマイクを握り返して、さて続きましては、と話を継続してしまったそうである。 つまりわざわざ会場前方へ出向く必要は無かった訳である。飛んだ無駄足。 その前日にも、街の某大学で別の集会があった。そこには平和活動や被爆者関連の主だった団体のリーダーたちが終結して、色々と参加の主旨などを語る機会があったそうなのだけれど、そこでも我が現地ヴォランティアに対する言及は無かったそうである。 それでその集会が終わってから、コーディネーターその二が、まあワタシたちは期待されていないかも知れませんが、勝手にやらして頂きますので宜しく、といったような事を、全体を取り仕切っている某団体の幹部に告げたそうである。 要するに、ワタシたち「現地在住邦人ヴォランティア」は、ひょっとすると必要なかったかも知れない、という話である。 昨日の大集会後に数人の仲間たちから集めた情報を総合すると、漸く今回の一件の全容が見えて来る。 まず「コーディネーターその一」というのがいる。「とあるNPO(Non-Profit Organization 企業のように利益を求めない類の活動をする)団体でインターンをしている学生」と名乗っているのだけれども、しかし誰が聞いてもその詳細を述べない。何処のNPOか、何処の学生か、何を専攻しているのか、何時卒業するのか・またはしたのか、といったような情報には、全く触れないか聞かれても言葉を濁すのだそうである。大変ミステリアスな女性である。 そこで他のヴォランティアたちの聞き出した情報から想像するに、つまりとある反核関係の日本のNPOというのがあり、彼女はその現地事務所にて過去数ヶ月ほどの間インターンをしているのだが、しかし彼女の上司は他の日本の反核・平和運動NPOらと何らかの衝突があった所為で、表向き彼らの今回の一連の活動には参加・交渉し難い事態になっている。 しかし彼女は自身が被爆地出身でもあるので、自分の所属するNPOとは離れた形で、個人的に手伝いたいという意向があったようである。 それで現地の某左翼団体(というと聞こえが悪いかも知れないので、若しくは)・反戦団体が企画した「メイ・デー」でもある日曜日のデモンストレーションに、日本から平和運動家や被爆者らが参加するという話を取り付け、現地団体との間の交渉を引き受けるという形で関わる事にしたようである。 そして現地ヴォランティアを取り纏める作業については、彼女の同居人である「コーディネーターその二」に頼んだ、という次第のようである。 しかしこの「コーディネーターその二」は「その一」とは全く異なる政治・思想的観念を持っており、つまりとんでもない「右翼者」若しくは「国粋主義者」だったのだけれども、そしてその歴史知識は並外れた「セレクティブ・メモリー(selective memory)」といって、大変都合良く取捨選択されたものなのだけれども、しかし何故かこうした左翼団体(若しくは反戦・反核・平和主義団体)の活動のお手伝いをする事に同意して、更になんと自腹で必要経費を捻出してまで頑張って取り組んだという訳である。 この辺りの経緯が、ワタシにはどうしても理解不能である。 ワタシは初めこの「その二」嬢は、左翼団体のイベントに爆発物を持ち込んだりなどして混乱を来たそうという意図の右翼者か、と警戒しようかとも思ったのだけれども、よくよく話を聞いているうち、恐らく自説の思想的矛盾に気付いていない無知なる熱い若者に過ぎないのではないかと思い直して、特に反応しないで置く事にした。 これに付いては、昨日の集会後に一緒にお茶を飲んだ、数人のヴォランティアらとの会話の中でも話題に上ったのだけれども、ワタシが先日若者たちと夕食に出掛けた際の出来事と似たような吃驚仰天的右翼発言が、他でも続出していたそうである。だからワタシが言うまでも無く、他のヴォランティアたちも「その二」嬢の爆弾発言を何らかの形で聞き及んでおり、「やばい発言をしていた」と口々に言うのである。 ところでこれに加えて、むしろワタシたち的に「やばい」事態というのがあった。 昨日の集会中にテレビや新聞等のメディアの取材が何回か訪れており、その度にワタシたちのブースでの通訳活動中の写真を撮って行った訳だが、それ以外にワタシが気付かなかったところで、この活動のリーダーとして「その二」嬢がそれらの「インタビュー」に答えていたそうであり、また特に現地の日系ミニコミ新聞や日本の某新聞社の地方支局などでは「一面記事」扱いでワタシたちの活動の様子を載せる予定との事で、つまりそれらには「その二」嬢の発言がそのままワタシたちヴォランティアの活動主旨・目的として取り扱われている、というのである。 つまり、ワタシたちは個人的に集められた集団に過ぎず、何も「その二」嬢の意見に賛成したから休日返上で無償労働をしに来た訳では無いのに、あたかもそのように報道されてしまう危険がある、という訳である。 「右翼」が「左翼活動」の手伝いに来る、という、この何とも矛盾に満ちた、鼻白む行為。全くのお笑い草である。 ものが分かっていない愚かな一若者の穴だらけの意見が、まるでワタシたちの総意であるかのように捉えられ、分かっているワタシたちまでもが分かっていない人呼ばわりされてしまうという、この不条理。 折角良い事をしたと晴れがましい気分に浸っている頃になって、漸く分かりかけた「全容」が、ワタシたちに何とも言い難い無力感をもたらす。 皮肉なのは、そこで全容を知ったワタシたちの多くは、国際政治や歴史、社会問題などの関連分野で学ぶ大学生や大学院生たちだったという点である。 皮肉と言えば、例の大教会での集会に出掛けた際の事である。 そこには数千人の二ホンジンの反核・平和運動関連の皆さんが詰め掛けた訳だが、そこでワタシは目を疑うような人物を発見した。 彼はビジネススーツを着込んでいる割りに、その髪が黄色く着色された奇妙な男性だったのだが、なんとこの国の国旗を模したネクタイを締めていたのである。 この街では、数年前大きなテロリズムが起こった直後に、さあ皆で力を合わせて立ち上がろうという意味を込めて、国旗を方々で掲げるという行為が、よく見られた。 しかしその後のこの国の政府の政策は、国民の意図とは少々異なる方向へ向かってしまったので、それが明らかになるに連れて、折角掲げた国旗を下ろす人々が続出した。政府のやる事には必ずしも賛成しないぞ、という意味である。 だから、それ以降に国旗を模った服やアクセサリーなどを身に付けている人、というのはつまり、現在の政府のやる事を全面的にサポートします、という意思表示をする人、つまり「右翼」若しくは「(盲目的)国粋主義者」と見做されている。 しかもこの街というのは、この国の中でも特に左拠りの街として有名な土地柄なので、そこで右寄りな人というのは相当暮らし難い訳であり、当然ながら現在国旗ファッションを見る機会は相当少ないのである。 そこへ持って来て、この日本からやって来た反核・反戦・平和活動家若しくはそれをカヴァーするマスコミ関係者である筈のこの人物の、このファッションである。 ワタシは、その集会が今まさに始まらんとする状態でさえ無かったら、つかつかとその頭の黄色い見ず知らずの若者の傍へ寄って行って、誠にお節介かとは存じますが、生卵がぶつけられる前に、または拳銃で撃たれる前に、その「国粋主義的ネクタイ」は外すが良かろうと思いますし、この街で反核・反戦集会に参加している間はそれを身に着けない方が身の為ですよと、一言説教を食らわしてやりたいと思ったくらいである。 いや、もっと言うと、後ろから馬鹿たれ!と、すぱこん!と一撃食らわしてやろうかと思ったくらい、ワタシは憤慨したのである。 だってそうでもしなければ、彼は街中をその成りで歩き回って人々から大顰蹙を買うだけでなく、折角反核・平和運動家が訴えている主張がその信憑性を無くし、ぶち壊しになってしまうからである。彼自身が馬鹿者呼ばわりされるのは一向に構わないが、その所為でワタシを含めた他の人々にまで迷惑が掛かるのは耐え難い。 無知なる故の無神経な振る舞い。 それは致し方無いとは言え、笑って済まされる類のものでは無い。 ワタシは、この「国粋主義的ネクタイ」を締めた目立ちたがりの若者の行為と、軍国主義思想へ国民を導くのに重要な意義を担わされた神社に、今では平和主義を唱える(事になっている)一国の主が足繁く通い詰める行為というのは、同一線上にある無神経行為であると思っている。 そういう無神経な輩の行為というのは、過去に痛い思いをさせられた人々の神経にやすりを擦り付ける様な仕業であり、普通の神経を持った人間ならば当然その他人の痛みに気付く筈なのだから、それが分からないのなら、それは人格上大いなる欠陥のある人物と言わざるを得ない。 そんな人物をそもそもその地位にのさばらして置いて、それで特に問題を感じないでいるニホンジンの皆さんというのが貴方、ワタシには一向に分からない。 更に、 尤も、そういう無神経なネクタイをして「反核・平和運動」をしに来てしまうようなビジネスマンが居るくらいだから、今時のニホンジンというのは、そういう無神経な人々なのだろうか。 何度も言うようだけれど、ワタシはそんな人々と一緒くたにはされたくない。
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