せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年04月02日(土) Death Watches

昨日の日記で死人の話を書いたけれど、今うちの界隈で一番の話題と言ったら、「尊厳死問題」もしくは「デス・ワッチ(Death Watches)」ではないかと思う。(後者はつまり、人々が死ぬのを今か今かと皆して眺めている様子の事で、皮肉である。)

この時点で既に亡くなった方の「尊厳死問題」については、先日イースター休暇の際「ホームステイ」させて貰った家でも関心の的で、暇があると仮父はテレビに見入っていた。そこから話が発展して、仮父のつい最近亡くなったお父さんの話だとか、もう数年前に膝の怪我が元で病院送りになってそのままそこで死ぬ羽目になったうちの祖父の話だとかに発展して、「死」とか「死に方」についての話で大いに盛り上がったくらいである。

保守的なキリスト教徒の多いこの国では、恐らく何処へ行っても、皆様々な感情を持ってこの事件に注目しているのだろうと思う。

ちなみに「保守的」と一口に言うけれど、これは直ちに「カソリック」という意味ではなくて、「プロテスタント」の宗派のうち特に保守的なのを含むという意味である。元々この国にはカソリックは少なくて、「**正教」と呼ばれる、所謂オーソドックス・キリスト教徒も幾派かいるが、主なところはプロテスタント各宗派である。


ところで、テリー・シャイボ(Terri Schiavo)さんと言うんですって、例の十五年間だか植物人間状態で、フロリダのホスピスで暮らしていた女性は。

ここ数日話題は見聞きしていたけど、まさかこれほどの大騒ぎになるとは思わなかったから、名前なんか覚えてなかった。ワタシがいかに信仰の徒でないかという事が、益々はっきりする。

なんでも、彼女には心臓発作だかの後遺症で脳にダメージがあって、目は開いてるけど意思表示は出来ない状態だったそうな。そこのところが、非常に微妙な点である。

ひょっとしてこのニュースで盛り上がっていない地域にお住まいの読者の皆様の為に掻い摘んでご説明すると、要するにダンナが、彼女はこのような状態でいつまでも生きている事を望んでいない筈だと言って、延命装置を外してくれと再三言ったのだけど、彼女の両親はそれは殺人行為だと言って、長い事裁判で争って来た。これまでにも、その裁判の結果によって二回くらい装置が外されたのだけど、その後知事の介入などですぐに判決が覆ってまた装置を付けたので、彼女の生命機能は止まらないでこれまで生き永らえていた。

つまり、非常に個人的な事柄の決定に行政が介入している、という訳である。

今回は連邦議会が週末返上で新法を制定してまで食い止めようとしたのだけれど、それを州裁判所が跳ね除け、両親の救済措置申し立ても連邦控訴裁判所や最高裁判所が棄却して、装置を付けたり外したりという混乱から免れた彼女は漸く永遠の眠りに付いたという訳である。

全く部外者のワタシからすると、ああやっとこれで落ち着けるね、テリちゃん、ご苦労さん、と声を掛けてやりたいところである。


ところでフロリダ州というのは、その暖かい気候の所為で、老人人口が大変に多い州である。

彼らは州全域に生息しているけれど、例えばディトナビーチなんてのは、春休みに北部の大学生が大挙して訪れて羽目を外す事で知られるけれども、その時期を外すと老人ばかりが徘徊していて、ある意味目のやり場に困ったりするところである。

当然死人も日常的に出るし、尊厳死というのにも関心が高い地域である。

ここでは、例のキリスト教原理主義者である大統領の実の弟が州知事をやっている。ジェブと言うのだけど、彼は上手い事ヒスパニックの奥さんを見つけて、大票田のフロリダ州に多いキューバ系移民の票獲得の準備も万端にして移り住んだ。

彼はここの州裁判所に圧力をかけたりして、何とかして延命装置を外す許可を出さないようにと働きかけたのだけれど、た・ま・た・ま現職の州裁判所の判事がリベラルな人だったから、今回の件では夫側の主張を採用して、尊厳死を認める判決を出した。

この国は両端の州(沿岸州)は比較的リベラルだから、もしこういう状況でホスピスに入る事になるなら、それを心得ておくのも良いだろう。尤も前回の選挙では、民主党は北東部沿岸州と加州くらいしか取れなかったし、フロリダはジェブのお陰で又もや接戦だったのだから、今回のフロリダの判決はかなり「ラッキー」だったと言って良いと思う。
 
そういう意味では、ジェブ・ブッシュまたはブッシュ家にとって、フロリダは票田がでかい上、保守とリベラルがギリギリで競っていて、加州や紐育州などと比べると比較的リベラル度が低いから取りやすいという事情もあり、これは早い段階で是非押さえておかねばという算段だった事が伺える。

こうして見ると、国内政治とは正に「陣取りゲーム」のようなもの。槍や鉄砲が飛んで来ないだけ、国際政治よりまだやり易い。


まあそういう訳で、もっと保守的な裁判官を雇う事にしようなんて声が上がっている。議会も大統領もノーと言ったのに、それに従わない州判事って生意気!などと憤っている議員もいる。

(司法は行政や立法機関から独立している筈なのに・・・)

この国は、元々そういう憲法に基づく建前に非常に忠実な国なので、今回の件は本当に異例中の異例である。

しかしここには合衆国憲法の第十四修正条項である「人民の基本的人権に関する宣言」というのがあって、これにより合衆国政府は他の人民や政府機関による不当な行動による人民の人権侵害(ここでは生きる権利の侵害)を阻止しなければならない事になっているとして、一連の介入を正当化する理由として使われている。

それで、大半が保守的な全米のお茶の間の皆さんは、この様子を大いに関心を持って見守っているという訳である。

(普段はあんなに時事に無関心な癖に・・・)

宗教が絡むと、この国はこれだけ動くのだという事を、またしても認識させられる。



はっきりしないなら人命を優先すべき、という主張は一件尤もらしいのだけれど、そうすると宗教が抱える矛盾に辿り着く。西洋医学なんてのは実際、宗教倫理と真っ向から対立するのではないかと思う。何しろその昔、欧州の「大学」という神学に基づく学び舎にて医学を学んだ人々は、女性の身体を診るのに目隠しや覆い等をしていたというし、十九世紀辺りまで精神医学は解明されず「異端」とか「魔女」とか言って犯罪者と一緒に括られていたのだから。

「科学」という新発見がこの世にもたらした大いなる功績。そしてそれ無しに、この世が葬ってきた人々の数。

これは現代の欧州社会では、恐らく過去の反省を活かして人類を前へ進めていこうという姿勢があるようだけれども、亜米利加社会ではどういう訳か逆行の途にあるようである。

「神」というものは人間に対して「地に満ちよ、地を従えよ、〜 全ての生き物を治めよ(Be fruitful, and multiply, and replenish the earth, and subdue it: and have dominion over the fish of the sea, and over the fowl of the air, and over every living thing that moveth upon the earth. Genesis 28. King James Version, Holy Bible. 1962.)」と言って、まるで神に準じる万能のもののごとくに人間を造った、そうである。

(人間はしかし、「天地創造」や動植物創造の後、一番最後に作られた創造物だというのに、その癖その他全部を治めるというのは、順番的にどうも納得が行かないのだけれど、その辺りはキリスト教徒の皆さんには気にならないのだろうか。)

(ちなみにワタシがこの間訪れた町では、ダーウィンさまの「進化論」については、学校でも家庭教育(学校にやらずに家で教える方式)でも教えていないらしいので、つまりワタシたちは甚だしく異なる世界観を持つという事である。)(コドモの多い家庭に「ホームステイ」しないで済んで、本当に良かった。ワタシの事だから、つい「裏の世界」をバラしてしまうところであった。)

そういう存在だから、生きられるなら何時まででも生きるのが良い、という事なのだろうか。

いや、でもその生命の有限性というのはまさしく人間ならではのもので、つまり「神」では無いのだから、何時までも生きている訳にはいかないだろう。脳にダメージが出来て自らの身の回りの世話が出来ないとか意思を伝える事が出来ないというような状況になって、それでも「生きている」というのか。何を持って「生きている」とするのか、これは個人の定義次第だろうと思う。

しかし誰がそれを決定するのか。ある人々はそれは「神」だと言い、その存在を信じない人々は、我々「自ら」にそれを決定する権利があると言う。

ここまでは非常に亜米利加的展開。

しかし今回の件は、「自ら」がその手段を持たないので、何故か「政府」がそれに介入し決定すべきだという話になり、しかし「司法」はその介入を不当と判断した。

亜米利加的結末をみて、ワタシは暫しほっとする。



先だっての大統領選挙で論点になったのは、実は戦争でもテロリズムでもなくて、同性愛者の婚姻とか人口妊娠中絶とかいった、所謂宗教的価値観と対立する話題である。思いの外多くの亜米利加人が、これらの問題にゴーサインを出す心の準備が出来ていなかった訳である。

そして此処へ着て、また尊厳死というデリケートな問題が持ち上がってきた。メディアや議会での動きなどを見ると、この話はまだまだ始まったばかりという感がある。


ワタシが死ぬ頃には、お上にとやかく言わたりせず、穏やかに死にたいものだと思う。



きっとポープも、静かに死なしてくれと思っているかも・・・ これも尊厳死問題か。

それにしても、彼は中々逝かないね。余程この世に未練があるのか。そんなに持たせて、これだけ人々が待ちかねていたら、却って逝き難いんじゃないかと思うのだけど。


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