せらび c'est la vie |目次|昨日|翌日|
みぃ
このところ、人がよく死ぬ。 イースター休暇から帰ってきたら、かつてお世話になった教授の一人息子が無くなったという知らせが届く。 どうやらイースターの日曜、ベッドで寝たまま心臓発作だかで逝ってしまったらしく、そしてまた一人息子という事で、余りの突然の出来事に家族は言葉も無く、途方に暮れているとの事であった。 一人息子といっても、彼には他に娘さんたちがいるのだけど、やはり文化によっては男の子の方が女の子より重宝される訳で、「彼のたった一人の息子が」というくだりを読むとなんとも居心地悪いが、致し方無い。 だって、ねえ、ワタシなんて正真正銘の一人娘なのだから。 幾つも兄弟がいる家と比べたら、理論的には両親はさぞ落胆するだろうという事になるのだけれど、こう離れて暮らして音信も無く過ごす日々を何年も続けていると、多分ワタシなんかがある日異国の地でぽっくり逝っても、誰も悲しいなんて思わないだろうという気がする。それはそれで哀しい事である。 それでお花代というのか、まあ幾らか集めようかなどと仲間内で相談しているうちに、今度は別の教授のダンナさんが無くなったという知らせが届く。この先生とは直接関わりが無かったので、個人的にはどうでもいいやと思うが、タイミングの良さに一寸驚く。 そうしているうち、今度は卒業生でどこぞの大学で教鞭を取っていた某氏が亡くなったという知らせが届く。これもワタシは直接知らないので、氏のバイオグラフィを読みながらへえと感心して終わる。 こう続いてくると、次はいよいよヴァティカンのポープ(Pope)かなという気がしてくるのだけど、縁起でもないですか。 いや、反キリスト教だから言う訳ではないけれど、ニュースを読んでいると、彼も今回ばかりは無理だろうという気がしてくる。 尤も老人だから、一寸した事で風邪とか肺炎とか感染症とかを起しやすいし、それが元で逝ってしまうというケースは多いのだけど、彼ももう充分それらの様々な症状に耐えてここ数日やって来たようだから、もうそろそろかと・・・ しかし老人は兎も角、若者で、身体が彼方此方悪くて入院だ手術だとやっていた親よりもっと早く、突然に逝ってしまった息子というのは、確かに残念だわな。 という事で、ワタシたちはご子息の遺志を尊重して、お花の代わりに、彼が携わっていた南アフリカのHIV・エイズの遺児を集めて世話しているホスピスに寄付する事にした。 「お花代」と言って集めていた頃より、「寄付」と言った後の方がより多くのお金が集まったというのは、ワタシ自身も含めて、よく存じ上げなかった故人を偲ぶよりはいい事をしたいって人、多いのねと思う。
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